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April 2007

April 30, 2007

祝-天地人-大河ドラマ2009-2

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ようやく好天にめぐまれて、自宅のもみじも葉っぱをひらき始めました。妻子は相手をしてくれないので、米沢上杉祭りと直江兼続展へ行ってきました。伝国の杜もしばらくぶりで、展覧会の図録を5冊get。もちろん直江兼続展の図録もget。大河ドラマともなれば、上杉ものの本が続々出てくるでしょう。きょうもずいぶんにぎわっていましたが、これからさらに発展しそうです。2年後には詳細な直江兼続学習もしましょう。

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April 29, 2007

古本市

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駅前の十字屋で古本市です。山形に脱サラらしい3軒の古本やがありますが、これは、どうやら仙台の大きな古本屋のようです。古本屋は独特のかびくさいにおいがしますが、われわれ個々の人生の友としての書籍は、過去にさかのぼって古本屋にあります。昔自分の本箱にもっていた本を発見するとつい手をだします。高校を卒業のとき、大学を卒業のとき、仙台をでたとき、多くの本を始末しました。山形を出るときがあるのかどうか知りませんが、今は山形幕末ものを集めています。日本の古本やのnet検索が便利ですが、実物がたくさんあるとついほしくなってしまいます。手持ちの古本のもっときれいなのを見つけると、ため息をつきます。これが東京神田神保町ならほんとに一日がかりになりますが、貧乏ひまなしでいくチャンスはありません。山形の田舎ものではこれくらいでも十分満足です。で、なにをgetしたかというと

佐藤三郎 酒田の歴史 東洋書院 昭和61年 1800円 を1200円で購入。美本です。

昭和57年はじめて医者になったとき、酒田にいきましたが(このときおしんの本放送をしていた)、ここにきて酒田の歴史を本格的に学習することになります。

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祝-天地人-大河ドラマ2009

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この原作は、山形新聞連載のとき愛読していました。来年は天璋院篤姫で薩摩側から幕末を復習、2009年はいよいよ待望の直江兼継です。いつの日か新徴組も大河ですかね。歴史ものの楽しみにはおわりはないや。

さくらさくらしていたら、ゴールデンウイークにはいっていました。相変わらずの生活をしていますが、ちょうど米沢の上杉博物館は直江兼継をやっていますので、できれば行ってみたいと思います。

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新整組ー練兵10-13,長州藩邸差押1

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以前に書いた

小山松勝一郎、山崎利盛<庄内藩新整組> 十万苑 昭和61年 2000円

の新整組が登場しました。練兵が終わっていざ実践その1。いよいよまずは章が替わって長州藩邸差押の巻き。
引用
< 元治元年七月二十六日、早暁の静寂を守っているかのように、薄ら靄(もや)が流れていた。劣らない細心さで、低く身を屈めながらに音も立てず、麻布檜坂の小路を進んだのが、庄内藩士百人、新徴隊士五十人、加えるに幕府から借り受けた大砲隊三十人だった。>

この"大砲組”が新整組です。その詳細はこの本に書いてありますが、砲術家小林登之助の神田お玉が池塾に学ぶ門弟によって編成され、はじめ小林組といった。登之助は、浪士組に参加、のち新徴組の練兵教授方となり、文久3年11月庄内藩預かりとなった。元治元年9月大砲組と名をあらためる。現在は7月ですから、まだ小林組のはずです!これはわたしの年表の通り。慶応2年6月この登之助は暗殺されてしまいます。やったのは新徴組のようです。これは庄内藩の丁卯の大獄に関連するといわれています。その後の運命は新徴組にパラレルです。

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April 26, 2007

ワッパ騒動

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Wappa

山形県文学全集に庄内関係の2つのこの時代を扱った小説をみつけました。

佐藤治助 ワッパ一揆 東北農民の維新史 三省堂 1200円 昭和50年

大林清 庄内士族 昭和20年 輝文堂書房 

前者を読んでいますが、ネットで検索したところ、なんとつい最近作者の佐藤治助さんが亡くなったとのこと。
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訃報:佐藤治助さん 85歳 死去=元中学校教諭、高山樗牛賞受賞者 /山形

 郷土史に関する著書を多数出版した元中学校教諭の佐藤治助さん(さとう・じすけ)さんが19日、入院先の病院で亡くなった。85歳。葬儀は21日午前11時、鶴岡市稲生町1の9の40のプリエール鶴岡。自宅は同市双葉町12の3。喪主は長男和司(かずし)さん。

 94年に高山樗牛賞を受賞。「ワッパ一揆」(三省堂)、「心にのこる庄内語」(鶴岡書店)などの著書がある。

毎日新聞 2007年4月20日

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ネットでワッパの解説もされていました。山形大学で講義もされていたようです。現在読書中。

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April 24, 2007

練兵5-9

元治元年6月池田屋事件が京でおこり、一躍新撰組の名があがる。新徴組とくらべて述べています。池田屋事件に連座して、清河の仲間の桜山五郎が死にます。

これから薩邸焼き討ち、戊辰戦争、庄内藩降伏。ここまでやるのも、この調子だと遠い。その先も非常に長いので、幕末編と明治編は別々にしないとだめかもしれない。ことばだけ知っていたワッパ騒動について学習開始しています。武士の視点、新徴組の人の視点、そしてもう1つ農民の視点が必要なことがわかります。庄内は、幕末も明治初期も同じ人が権力をにぎっています。以前会津について学習したことがありますが、会津藩の武士たちは、戊辰戦争もその後も悲惨な運命にみまわれます。しかし庄内藩は違うのです。新徴組の運命もそれに併せて流されていきます。

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April 22, 2007

水野三郎右衛門元宣

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もうひとつの桜------幕末を扱っているので、市内の水野三郎右衛門元宣ゆかりの場所を回ってきました。

年表でいえば、明治2年 5月20日 山形藩家老水野三郎右エ門元宣、山形長源寺にて刑死。27歳。


参考文献

後藤嘉一、やまがた明治零年 昭和42年 郁文堂書店 


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April 21, 2007

満開2

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曇っていて光りのかげんがよくないですが、満開が続いています。ほとんどおちていません。今が見頃。

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April 20, 2007

たそがれ時

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夕日もきれいでした。山形城二の丸入り口=霞城公園の入り口です。

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April 19, 2007

元治元年14,練兵1,2,3,4

小山松新徴組付録の年表をここにうつしおわりました。これをもとに新徴組年表を作成しています。章が代わって、フランス式の軍隊をまねた訓練をしているようです。練兵1に<元治元年7月>とはっきり書いてあります。わたしの年表をみると、この月蛤御門の変がおこり、長州征伐がもうすぐはじまります。またこの月江戸の長州藩邸の没収にいきます。もうすぐこの話になるのではないかと思います。この練兵が、のちの戊辰戦争での酒井玄蕃と新徴組の活躍に移っていきます。庄内藩の戊辰戦争まででも先は長いですが、明治期の松ケ岡開墾ワッパ騒動、西南戦争までいかないと終わらない話ですので、これはたいへん長丁場になるものと思います。少なくとも明治5年の大脱走までやらないと林太郎の人生は描けません。

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満開

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昼間晴れて、夕方行ってみましたが、ようやくほぼ満開です。すこし寒い感じですので、しばらく満開の霞城公園を楽しめるでしょう。

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April 18, 2007

夜桜

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定点観測は夜の部となりました。まだすこし寒いのでまだ満開ではありませんが、だいぶ満開に近くなりました。霞城公園では夜桜を楽しむ人がふえてきました。ずいぶん前にこの場所に夜きて、すごーーいと思ったことがありますが、まだそれほどではありません。


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山形市の桜5分咲き

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天気悪く寒いので桜がきれいに満開になりません。夕方歩いてみましたが、雨降っていて花見の人もまばら。今週末が見頃とか。晴れることを期待します。日曜日に仕事で野草園へ行く予定ですが、寒そうだ。

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April 15, 2007

山形市の桜3分咲き

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ようやく桜が開花しましたが、まだうすら寒くきれいに咲きません。わたしのいつものスポットはまだ三分咲きです。

斯波兼頼が山形城築城の際に植えたと伝えられるエドヒガンの古木は満開でした。

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April 14, 2007

結末ー元治元年11,12,13

小山松新徴組を一通り読了しました。第3部 新徴組庄内入り の最後のところを引用します。


なおワッパ事件の判決に触れて次のようにいう。

大参事松平(権十郎)は禁固二年。以下それぞれ処分せられたり。然して裏門の主謀者菅実秀は知らぬふりの半兵衛、彼の狡猾すべて此(かく)の如し。

とにかく

酒田県当時における松平、菅等の苛政営利の罪悪は、想像外なるものあり。

とし、ついに松本は菅実秀との交際を絶ってしまった。

菅実秀の言動は、赤沢源弥編「臥牛先生行状記」、加藤景重編「臥牛先生遺教」にすべて記されている。それによれば実に偉大なる人物のように思われる。司馬遷が古語をひいていう「よくこれを言う者は、いまだ必ずしも行わず」と。実秀の言に、

道を学ぶには堯舜(ぎょうしゅん)を手本とし孔子を教師とせよとは、西郷先生の教えなり。

予が志はたとい掘立小屋にすまいするとも、大賢人にならん事を庶幾するなり。

予県庁に在りし時、もし管内の細民一人にても飢死人を出すならば、天に対して大罪なりと念じ居たりき。

さて菅実秀は、よくこの言を行ったであろうか。

清河八郎の浪士組は、彼の横死とともに新徴組と改名され、庄内藩の委任となったが、千葉弥一郎の言のように「尊王を謳歌せず、佐幕を唱道せず」、ひとすじの誠実をもって幕末激動期の大江戸の治安に任じたのである。しかし明治の御代になって「狡兎(こうと)死して走狗(そうく)煮らる」の語のように、菅実秀の手にかかって瓦解(がかい)したのであった。


ーーーー戊辰戦争をすぎ、明治期になっての新徴組の運命は悲惨と言われていますが、最後の記載がこうですので、犯人は菅実秀のようです。ワッパ騒動まで学習が必要です。偉人のようにみえますが、かならずしもそうではないと言うことです。、、、小説はまだ捕り物をやっています。彼らは結構りっぱな行いを江戸でしていたようです。

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April 11, 2007

庄内弁-元治元年8,9,10

ちょっと長い小山松新徴組の引用。

さて忠発は忠篤に代わって重臣会議を開いた。菅実秀進んで意見を陳べていう。「天下の形勢逼迫の時、家系由緒かつ祖先以来奉公の儀を思し召され、特命をもってわが藩に仰せ下された御事、なんで辞退されよう。人手の足りないところは次男、三男を起用してはいかがか」

元来庄内藩では長男が家督を継ぎ、次男以下は部屋住みのまま一生を過ごすのである。菅実秀の案により、旧来の習慣は破られた。庄内から家中、給人の次、三男は数を尽くして江戸に上り、昼夜担当の区域を回って、狼藉不法の徒を絡め捕り、手向かう者を惨殺した。新徴組は当然庄内藩士に協力し、府内を回って取り締まりに当たることになったのである。庄内藩士はいはゆる庄内弁である。府内巡視に、べらべらまくしたてる江戸っ子には、とても歯がたたない。それで別して新徴組の府内回りが、庄内藩にとって重宝であった。

菅実秀、号は臥牛、通称は秀三郎、後に善太右衛門。当時32歳。近習であった。やがて江戸留守役を命ぜられ、縦横にその力を発揮するのであるが、表面は新徴組総括松平権十郎の名をもって、ことを行ったのである。

ーーーー世直し浪人が押し込みにはいったところに、庄内藩士の中嶋が先にゆき、あとから林太郎らがかけつけてみると、全然らちがあかないようだった。<庄内藩士はしゃべらない>しゃべっても<なにをいてるかわかんねえ><これでは新徴組を手放せるわけがないのだ>、、、

ということで庄内弁についてやっています。庄内弁で、庄内藩士にしゃべらせてますね。江戸っ子からみるとことばが外国語のようだったのだと思います。

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April 08, 2007

菅実秀-元治元年4.5.6,7

山形県が制作した菅 実秀(幕末の指導者、鶴岡市)というビデオをネット上からみることができました。前述の「加藤省一郎  臥牛 菅實秀  致道博物館」をまとめたようなビデオでした。戊辰戦争以後の庄内藩の行方は菅實秀と西郷隆盛の関係が重要な意味をもつことが、よく知られています。庄内藩降伏の時、西郷が鶴岡にきたことも有名な話ですが、U-zenの40号でその時の西郷のたどった道を特集しています。新徴組の運命も菅實秀がにぎっているといえましょう。身近なところで現在の荘内銀行を作ったのも、酒田の観光名所山居倉庫を作ったのも菅實秀なのでした。この本手に入れたいが、再刊してくれないかな。


このところ小説は、江戸市中見回りの様子を書いています。庄内藩見廻組 中島吾之助という人物がでてきました。しばらくは江戸市中取り締まりの様子ですね。

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桜開花待ち

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Ume

Kiiro

開花前の桜の接写を試みました。梅が満開。ミズキ科のサンシュユの花(黄色の木)が満開(この花が本日の山形新聞の1面でした)。春ですが、まだやや気温が低いです。


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April 04, 2007

もちの木坂ー元治元年2,3

Mochinoもちの木坂の新徴組屋敷の位置は、東京ドームから飯田橋の駅を通って靖国神社の方に歩いてゆく途中にあり、一度歩いたことがありますが、その記念碑には気付きませんでした。小説の方は攘夷の集団であった浪士組に佐幕の庄内藩がはいってきた人々の考え方について書いています。年表でみると、かなり長い期間江戸のお回りさんをしています。その間に世の中は大きく動いていきます。


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April 02, 2007

春いちばん-元治元年1864-1

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東京は桜が満開とか、山形は梅が咲いていますが、郷土舘の桜(3枚目)はまだ全然です。山形の桜も1週間以上早く咲きそうです。デジカメの更新を考えていますが、ことしの桜には間に合いそうもありません。

新徴組は今日4月2日からたぶん年がかわって、挿絵は江戸の桜で元治元年(1864)3月とあります。江戸の桜は満開。現在とぴたりとあっています。やるもんだ。章が変わって小説では<江戸市中取締>となっています。まだ攘夷の時代ですが、6月の池田屋事件、7月の蛤御門の変があり、長州が京にせめてきます。時代は水戸の天狗から長州征伐にいきます。庄内藩ではこの年の暮れ、改革派が、老中稲葉正邦に庄内藩改革の陳情書を提出、これがあだとなって、大獄へ向かってゆくのです。

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April 01, 2007

庄内藩の歴史-庄内藩7,8,9,10

Sakaike
佐藤三郎 庄内藩酒井家 東洋書院 1991年 2000円

これは古本ではなく1991年発行ですが、まだ新刊本として購入できました。酒井家の戦国時代から書いていますが、幕末のこともよくわかります。一気に幕末のところは読んでしまいました。既出の石井親俊、維新前後に於ける荘内藩秘史なども多く引用されています。丁卯の大獄の意味もこれを読むと納得できるような気がします。内容については現在作成中の新徴組年表の中へいずれ書き込んでゆきます。

Honmag
本間群兵衛は興味深い人物です。葛飾北斎の晩年の弟子で、北曜というのだそうです。手持ちの北斎本にも名前が登場してきます。酒田戊辰秘話の中では女性問題についても1章をもうけて記載しています。



Gennba2
小説の方は酒井吉之丞了恒(アサツネ、サトツネ、ノリツネ、ヨシツネ??ーーー>坂本、玄蕃の明治では音読みでレウコウをとる)がもうひとりの主役であることが、だんだんわかってきました。写真は明治5年の玄蕃です。

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