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July 2007

July 31, 2007

長谷堂城1

Hasedoumap

関ヶ原の時、上杉は、直江兼続を総大将に山形にせめこみました。それが、長谷堂合戦です。その長谷堂城は、職場からよくみえるところにある小山です。以前より行ってみたいと思っていましたが、ついに今頃になって、長谷堂周辺へ行ってみることにしました。日曜日に妻と2回いってみました。google mapでみると、航空写真ですぐにみることができますが、ほんの小さな山、地名は城山となっています。4方向から上がれるようになっていて, 駐車場のある内山口、観音坂口、そして長谷堂観音堂へあがるところまで、みつけました。観音堂のところから駆け足であがってみました。草ぼーぼーで人気もありません。10分くらいで天守の有ったところまでいけます。山形市内がみわたせましたが、あいにく曇っていました。コロリ観音は時間がなく、どこだかわからず、次回となりました。

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July 27, 2007

大河ドラマ-黒幕10,11,挑発1

Ai

米沢で直江兼続の小伝が500円で発売と、新聞記事でみた。山形でも売っていたので即購入、きのういっきに読んでしまった。もちろん簡略版ですからものたりないですが、要点は押さえてありました。地元の人でも直江兼続のこと知らないひとが多いのでまず学習が必要と、別の新聞記事です。愛という字を書いた兜をつけた戦国武将ってだれだっけと聞かれたことがあります。いまやっている風林火山は、1つ前の時代ですが、時期的には連続性があり、その前史と考えてみていくといいでしょう。来年の天璋院篤姫は江戸城二の丸に住んでいて、本日の新徴組で二の丸炎上の記事があり、このシーンが来年の大河ではクライマックスでしょう。伊牟田がやったといわれています。薩摩出身の篤姫とどのようにからんでえがかれるでしょうか?

菅が京へいくので、林太郎に知っている人(沖田)を紹介してくれと言っています。新撰組とのからみを重要視しているようです。いよいよ前半のクライマックス、薩邸焼き討ちです。

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July 23, 2007

清河八郎-黒幕9

山形新聞連載 佐藤賢一 新徴組 第165回 黒幕9

これは朝刊にのってますが、本日の夕刊には佐藤賢一の歴史エッセイがのってます。タイトル、清河八郎。「虎尾の会」のメンバーについて書いています。興味のない方にはほとんど知られていない話です。清河の仲間たちについて語られるのは、新聞ではめずらしいことです。新徴組だって清河の仲間。舞台がこの薩摩藩邸焼き討ちの後、庄内へ移ります。やはり庄内藩降伏までかもしれません。明治編まで書いていると、このペースじゃどうなるんだろう。

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July 22, 2007

虎尾の会-黒幕8

山形新聞連載 佐藤賢一 新徴組 第164回 黒幕8
きょうは、清河の仲間たちの虎尾の会について解説しています。伊牟田と益満らが、芝三田の薩摩藩邸に隠れていることもあかされました。前半のクライマックスは近いです。戦争がはじまりますが、どのように描かれていくのでしょうか?

戊辰戦争の基礎知識として

中公新書 星亮一 奥羽越列藩同盟 中央公論新社1995年 800円

程度の予備知識は必要です。会津の運命だけでも膨大な文献があり、無数の人物が登場し、しかもほんとにあった話なのです。各藩はそれぞれの運命をたどり、攻める側の人物たちも藩も、それぞれの運命をたどるきわめて興味深いところです。 新徴組の人々には、庄内への旅という結構のんびりした側面もあるかもしれません。実際の戦いが始まるまでは、うそでしょうといいたくなるような世界なのかもしれません。

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July 21, 2007

薩邸焼討-黒幕6,7

Noguchi

Satsuma

薩邸焼討については資料が豊富で、詳細な記述がいろいろなところに書いてありますが、ここでは

野口武彦 幕末パノラマ舘 新人物往来社 2000年 2000円
と 長谷川伸 相楽総三とその同志 をあげておきます。

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Satsutei

後者の挿絵は門のところで、薩摩藩江戸留守居役篠崎彦十郎が刺し殺されるところのようです。この戦いで上山藩金子与三郎が死にます。清河八郎暗殺にからむ人物でした。小説では、きょう伊牟田と益満の名がでてきました。かれらは清河の仲間でしたが、浪士隊にはいっていなかったので、はてだれだろうとなるのは、無理もありません。

いよいよ薩長がせめてきますよ。

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July 19, 2007

朝日軍道

二年後の直江兼続では、山形の戦国を学習する予定ですが、きょうの朝日新聞に直江兼続に関するおもしろい情報が掲載されていた。それは朝日軍道と呼ばれる朝日連峰に直江が作った山道です。当時庄内は上杉領で、米沢から庄内にぬけるのに、平地では敵である最上の山形を通っていかないといけないので、別ルートで朝日連峰を縦走してゆく道を開発していた。それは、長谷堂合戦でも庄内をおさめていた志駄義秀が逃げる時に使ったそうだ。負けた後、庄内は最上領となり使われなくなったが、今にその道は残っているそうだ。ちゃんとその道をたどっているひともいる。

朝日軍道、調査登山記録

直江を学習する参考書もぼちぼち集めているので、のんびりやっていきますよ。先は長い。

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高橋泥舟、黒幕3,4,5

Deishu1

Deishu2


高橋泥舟は、清河八郎受難のとき、登場しましたが、自ら清河について書いています。   (清河八郎正明の事績ーーー原文は泥舟遺稿から)泥舟遺稿は、明治36年の発行ですが、なぜか復刻版が島津書房からでていて、3800円、2001年発行でした。

河越 関古の「泥舟」平成15年 8500円は決定版です。これをみるとわかりますが、泥舟の遺品は、いろいろ残っています。谷地に残る書の展覧会は記憶に新しいところです。

Deishuten2006


夢の足跡の泥舟が、清河八郎の墓参りを兼ねて、山形へ来たことがしるされている。江戸伝通院の僧侶・琳瑞が、河北町の出身で、この関係から泥舟がこの地に多くの足跡を残していることは、最近大きく報道されている。 山形行日記、庄内紀行が出版される日を楽しみにしています。小説の方は、林太郎が、くせ者をつけた結果を吉之丞に報告するところまできました。

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July 16, 2007

若松寺

Kenritsu2007

Wakamatsu

県立博物館夏の催しは若松寺(じゃくしょうじ)であった。さて全然知らない。708年行基菩薩が開山した霊場で、「西の出雲、東の若松」と並び称せられる、縁結びの観音様として有名だそうです。芭蕉がよって行かなかったので、知られていないようです。何だと思ったら、花笠音頭の文句、


揃ろた揃ろたよ 笠踊り揃ろた
秋の チョイチョイ
出穂よりまだ揃ろた
ハァ ヤッショマカショ

花の山形 紅葉の天童
雪を チョイチョイ
ながむる尾花沢
ハァ ヤッショマカショ

おらが在所ヘ 来てみてしゃんせ
米の チョイチョイ
なる木がおじぎする
ハァ ヤッショマカショ

目出度目出度の 若松様よ
枝も チョイチョイ
栄えて葉も茂る
ハァ ヤッショマカショ

の<めでた、めでたの若松さまーーー>の若松です。

博物館の1室をいっぱいにするほど、いろいろあり、郷目右京進貞繁の絵馬は有名。おおきなものでした。天童の偉人の一人菊池新学(東北地方の写真の先駆者)は若松寺一山の新蔵坊の出身。最上三十三観音札所の第1番です。きょう天童のお寺まで妻に行こうとさそったら、冷たくダメと断られた。そのうち行ってみます。

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清河八郎の亡霊9.10、黒幕1,2

清河八郎9,10の挿絵は、橋の上にお化けがでている図で、2枚で1つの絵のようでした。これをスキャンして、引用!しようかと思いましたが、あわせてみると全然ずれていてだめで、断念。また賊があらわれて、薩摩のことばをしゃべってますよ。

Yamaoka

Sannshuu

この頃、山岡鉄太郎と高橋泥舟も江戸にいたが、何をしていたでしょう。清河暗殺後、閉門蟄居。

小島英熙 山岡鉄舟 日本経済新聞社2002年 2000円 と
頭山満 幕末三舟伝 島津書房 平成11年 2850円

によれば、山岡は剣と禅の修行を続けていた。泥舟は二丸留守居席兼槍術師範、慶喜が将軍になってから、遊撃隊 頭取兼槍術教授、副頭、頭になっていた。江戸城二の丸炎上が小説の時間でもうすぐおこるが、このとき泥舟、鉄舟、松岡万がかけつけていった時の様子が、後者の本に詳しく書かれている。かれらの出番は、ご存じ江戸城無血開城の時である。

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July 14, 2007

紅花まつり2

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1週間前にいった山形市の高瀬地区、前回はまだ満開ではなかったので、もう1回いってみた。写真をとったところは、もう終わっていて、横道にそれて、山を車で登ってゆくと、段々畑に満開の紅花がさいていました。今や紅花では商売にならないのか、予想よりずっとこじんまりしたものでした。紅花も一瞬で、見ようと思わなければ、見ることはできないようです。今年はこれで終わりです。あとは河北町の紅花資料館へでも行ってみましょう。

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July 13, 2007

清河八郎の亡霊6-8

「思えば、清河先生は早すぎた志士だったんですね,,,,,」
この時代にこんなこといったかいなという発言です。

大政奉還について話あっています。

清河八郎を名乗る賊が、江戸の町をあらしていた。その者は<中肉中背の背格好といい、撫でつけた総髪といい、射すような眼光といい、ありし日の清河八郎そのままだったということですからね><,,,賊は数人いたと、、、その先頭にいた男の話ですよ。ええ、その男の言葉だけは、くぐもるような訛りだったと,,,,>

「なのに最近、また物騒になってきています」

どうやら、伊牟田、益満らが、ひそかに江戸をあらしていることをいっているようです。伊牟田尚平は薩摩の人ですが、清河とのつきあいは長いので、庄内弁も使うのではないかと思います。当然、だれかが何のために作為的に江戸をあらしているなど、はじめは誰にもわからないので、こういう話になります。

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July 12, 2007

自宅の紅花

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紅花まつりで買ってきた500円の紅花が咲いてきました。これはよい。今週末が、紅花満開と思われます。まだ新聞に出てこない。天気がよいといいですが。

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July 09, 2007

敬天愛人、清河八郎の亡霊5

山形新聞連載 佐藤賢一 新徴組 第151回 清河八郎の亡霊5
「まったく、どうなってしまうんですかね、世のなかは」
「平たくいえば、全て清河八郎の思い通りになったということです」
これは本日の平助の発言。政治情勢について解説しています。<大薩摩の加担で、尊王攘夷派も勢いついた。> 大薩摩と書いています。

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庄内藩が激動の明治初期をわたるのに西郷隆盛との関係がクローズアップされるが、その庄内との関係のいいところは、この敬天愛人の書とその解説文に要約されている。現在でも購入可能な

岩波文庫 西郷南洲遺訓

の由来である。もしかするとこの小説幕末で終わるなら、庄内藩降伏後、西郷が鶴岡の町を歩くシーンで終わるのかもしれません。その後の新徴組の人々の運命にも大きく関係します。

ちなみに西郷南洲顕彰会をチェックしていたら、その賛助会員になる(3000円)と年鑑の「敬天愛人」の最新号を送ってもらえ、会員になると送料2000円でバックナンバーがもらえることがわかり、即会員になりました。「敬天愛人」の3号から24号までget。過去にこの中のいくつかの論文をコピーしたことがあります。西郷隆盛研究の重要な文献のようです。菅をはじめ庄内との関係を記した論文もかなり含まれています。酒田の土門記念館のそばにある南洲神社には一度行ってみないといけません。

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July 08, 2007

紅花まつり

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ちょうど今は紅花の開花時期で、このパンフレットをみながら、妻と二人で紅花を見に行ってみました。山形蔵王ICのちっと先に紅花トンネルというりっぱな新しいトンネルがあり、これをくぐるとすぐ高瀬地区へゆき、紅花まつりをやっていました。まだ5分咲きくらいでした。この道から天童、紅花資料館のある谷地までずっと紅花ロードというそうです。天童のじゃんがらむらの紅花が結構さいていました。昔13号線の本線沿いに広い紅花畑があったのを覚えていますが、そこは荒れ地になっていました。しばらくぶりに妻と二人で水車そばのとり中華を食べてきました。ここのそばは有名所ですが、今回板そば1つ頼んで味見をしましたが、昔、90年代はじめの方がずっと山形のそばらしかったです。観光客向けに食べやすくしているのだと思います。

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清河八郎の亡霊4

<庄内藩士が明かしたところ、あの貴公子は父親の隠居を受けて、出羽庄内に伝わる名門の家督まで継いだらしかった。すなわち、代々の当主が「玄蕃」を名乗る、いうところの「酒井玄蕃家」である。>

私の作成した年表から
慶応3年
9月11日 丁卯事件により祖父酒井右京死を賜り、父丁明隠居、了恒家督を継ぎ家録1500石のうち700石を給せられる。
9月 菅実秀、江戸千住において不測の難にあい監禁される。同月中、禁を解かれ藩邸内に謹慎す。

酒井右京の切腹は、「黒田、やまがた幕末史話」に詳しく、現在に伝わる重要な場面ですが、ここでは何も書かれないのかな?同じ月、菅実秀はつまらない事件で謹慎。この件は「加藤省一郎、臥牛菅實秀」に詳述されています。そして菅は12月にはいると、藩士6名をつれて、関西へいきます。西郷暗殺の密命をうけていたとか。もちろんはたせませんが、時期的に戊辰戦争にまきこまれてしまいます。そのへんの関係は説明されるかな?いよいよ伊牟田、益満、相楽の登場かな?この辺毎日楽しみ。

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July 07, 2007

清河八郎の亡霊2,3

鉄砲の訓練をしているのだが、時はふっとんで、慶応3年11月とあかされました。時代は大政奉還も終わって、庄内藩の粛正も終わっています。そして、ちょっと前に書いた伊牟田尚平、益満休之助らが、江戸で悪さをしている頃です。そして薩摩藩邸焼き討ちです。沖田からみているので、多くの事件は他人事なのだと思います。

林太郎の発言。「いやはや、時代が変わったというより、いよいよ世も末かもしれねぜ

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July 05, 2007

清河八郎の亡霊1

慶応2年(1866)
6月 新徴組、鉄砲稽古を始める。
すでに薩長同盟は成立していて、嵐の前の静けさ、そのうち薩長がせめてきます。

さてこのタイトルは何を意味しているのでしょうか?
お楽しみに。

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July 04, 2007

裏金9-14

三勇士が切腹しました。小山松新徴組、庄内藩酒井家などでは、詳細にその切腹を記述しています。たぶん原典があるのだと思いますが、ここでは、事実だけを述べています。それより菅の肉声が聞けます。

菅が三勇士に切腹するように強いたのを知り、酒井吉之丞がくってかかると

「好きになされるがよろしい」

「ただ、それがしは恥とは思いません。藩を守るためなら、それがしはなんでもやります。」

「それがしとて、もとは軽輩にすぎません。なけなしの才覚ながらもみこまれて、今日のような御役目を頂くまでになったのだと、相応の自負もございます。」

ここまで菅に言われると、吉之丞は拳をたたみにたたきつけるしかなかった。

ここで誰かがこういう。(これからが重要、はじめて長い引用をさせてもらう!)

「腐っている。幕府は腐りきっている。こんな風では国など治められるわけがない。こんな風では、ああ、そうだ、長州にだって負けてしまう」
それを好機と、庄内藩では改革派が息を吹き返すというわけか
冷淡な声の調子に胸を突かれて、えっと吉之丞は顔を上げた。そこに立ったのは松平権十郎だった。しかしながら、顔が見えない。兄とも親しんだ男の相貌には、およそ人間らしい表情が浮かんでいない。丑之助の兄上、それは...........。
「全体なんの話をしておられるのです」
「いくら幕府が気に入らなくとも、我らが長州藩になるわけにはいかないという話だ」
水戸藩になるわけにも、土佐藩になるわけにも、な。そうとだけ言葉を残して、松平権十郎は踵を返した。

Ishii

これはまさに庄内藩の改革派弾圧の粛正を意味しているのです。石井親俊 維新前後に於ける荘内藩秘史  壹誠社 昭和42年に記載される丁卯の大獄へ向かって話がすすむはずです。

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