« July 2007 | Main | September 2007 »

August 2007

August 29, 2007

幕末、山形藩

山形藩は、天保の改革で名高い水野忠邦が失脚後移された所で、水野様で幕末を迎える。水野様の前は秋元家で、弘化2年(1845)に館林に移った。この時の様子を記した記録が、以前に紹介した「山田音羽子お国替絵巻」です。以前の最上歴史舘で原物を公開していました。手元にその復刻版の本があります。音羽会という子孫の会が発行したものです。

山形の幕末は水野三郎右衛門の切腹(明治2年 5月20日)で終わります。長源寺は町中にあります。お墓も、銅像もちゃんとあります。この若い御家老様が、貧乏藩の山形藩をひきいて、戊辰戦争の中で苦労した姿は、

後藤嘉一、やまがた明治零年 昭和42年 郁文堂書店 

に詳述されています。戊辰戦後、庄内藩はだれも腹を切っていません。山形は一人、仕方なく責任者が腹を切っています。戦いの時にはやっと兵を少し出すことしかできなかった小藩のわびしさです。これから新徴組でやるであろうめざましい庄内藩の活躍とはまったく違ったものです。ずっと以前に勝沼精蔵の祖父のことを書いたがここでまた登場する。

|

August 28, 2007

佐藤賢一、新徴組1-200

山形新聞連載 佐藤賢一 新徴組 第1回ー第200回 (2007.2.6-2007.8.28)

序章 壬生1-13
浪士組  1-9
御預かり 1-8
大試合 1-13
庄内藩 1-10
江戸市中取締 1-14
練兵 1-13
長州藩邸差押 1-14
近藤勇 1-8
介錯 1-12
おまわりさん 1-10
突入 1-8
裏金 1-14
清河八郎の亡霊 1-10
黒幕 1-12
挑発 1-10
薩摩藩邸焼討 1-15
江戸払い 1-7

いよいよ江戸出立の一歩手前です。まあわざわざ庄内にいかなくてもいいわけで、実際脱走しているひとも多かったはずですが、また戦争になるなんて考えてもいなかったかもしれませんが、いざ戦いへ。しかし、back numberをみてみますと、新撰組の扱いが大きいので、もちろん近藤さんに、沖田総司の運命などにも言及されるはずです。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

August 25, 2007

江戸払い2-4

菅が京へ行っているのは、西郷を暗殺するためだったと言っています。挿絵は西郷初登場。ご存じのように戊辰戦争以後の明治初期の庄内藩のありようには、西郷と菅の関係が深く関係しますし、新徴組の運命にも当然関係してきます。これは、前述の

加藤省一郎  臥牛 菅實秀  致道博物館 平成2年 1800円

に詳述されていますが、6名の藩士を連れていったとか、戦国期と異り、忍びの者はいないでしょうから、口だけで、暗殺など無理だったのだと思います。

いよいよ庄内編へ突入。やはり明治編も描いて、林太郎たちが、庄内を逃げ出すまで描くべきじゃないかと思います。すると、400回から500回かかるのではないでしょうか?

|

詐欺的セキュリティソフト「DriveCleaner」

Virus

Virus2


Virus3

わたしのマックのbrowserが突然、DriveCleanerという画面にかわり、scanをはじめ、結局ソフトを買いましょうという画面までいくことを3度経験しました。どうやら特定のサイトにいくとでてくるようです(アダルトサイトではありませんでしたが)。調べてみると、一種のウイルスのようです。

日本語のUIを持つ詐欺的セキュリティソフト「DriveCleaner」

御丁寧にhome pageまであります。ここにクレジットカード決済のpageもあり、入力すると金をだましとられるようです。

Virus4

| | Comments (0) | TrackBack (0)

August 22, 2007

江戸払い1

薩摩藩邸焼き討ちの15回目は予想に反して、この薩摩武士がだれかもあかさず、薩摩のどの船にのったかも言わず、なにやら中途半端に終了。章がかわって、もう上方のいくさははじまってしまい、菅が江戸にもどってきて、京での戦いを報告するところから始まる。もう錦の御旗はたって、幕府軍敗退の後、江戸から庄内藩撤退するところ。新徴組も庄内へついていくところがみそ。ここの所で、数々のドラマがあるわけだが、庄内藩の動きはもちろん多くの人にとって興味もないし、よく知られていないところ。会津などは詳細に記録されていますが。

先に秋田藩をいったので、今度は山形藩、新庄藩、天童藩かな。忙しい。

|

August 20, 2007

薩摩藩邸焼討14

山形新聞 連載 佐藤賢一 新徴組 第192回 薩摩藩邸焼討 14
前回1つだけあけておいた逃げ道をふさいでた新徴組の面々を斬って(191回の挿絵、斬られた新徴組隊士)、道をつくった薩摩側の使い手(192回の挿絵の人)をとりかこんで、林太郎が相対しています。もったいぶってこの人の名をあかしていませんが、わたしは、益満休之助と思いますが、さてだれでしょうか?明日のお楽しみ。

|

August 19, 2007

大河ドラマー伏線

今やっている風林火山は、2年後の天地人の前の時代を扱っている。きょう長尾政景に嫁にいくことになった謙信の姉、仙洞院が上杉景勝を生む。また重臣直江景綱の娘浪という女性がでているが、どうやらこの人はのちに尼になるようで、その妹が、直江兼続の妻になるお船のようです。直江兼続の生きた時代はまた真田が活躍した時期。今の風林火山でも真田幸隆が活躍をはじめているが、まだ真田物にもどることになり、「池波正太郎 真田太平記 新潮文庫全12巻」再読(3回目)をはじめることになった。またしてものめりこんでゆきます。NHKの真田太平記を思い出しました。DVDになっているようで、ほしくなりました。でも5万円! ちょっと考えます。そこでにこにこ動画が役にたつわけですが。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

薩摩藩邸焼討6-13

ながながとその描写が続いています。酒井玄蕃は結核であること、逃げる薩摩側のことばに、相楽の名が登場しています。相楽総三については、前述の、「長谷川伸 相楽総三とその同志」に詳しく述べられています。相楽総三、伊牟田尚平、益満休之助、この薩摩側の首謀者たちは、すぐあやしい死に方をします。クライマックスの1つですが、いまいち盛り上がりにかけるようです。次は庄内藩江戸引き上げにくっついて、庄内入りです。気がつけば戦争に巻き込まれています。

|

August 15, 2007

山形花火2007-2

Hanabi200710

Hanabi200711

Hanabi220712

Hanabi200714

*
*
*
*
*
*
*

花火の写真はタイミングによって全然違う絵になるようです。また来年をお楽しみといったところ。


| | Comments (0) | TrackBack (0)

August 14, 2007

山形花火2007

Hanabi20071

Hanabi20072

Hanabi20073

Hanabi20074

Hanabi20075
*
*
*
*
*
*
*
*
*
*
*
*
去年は職場の屋上からとってましたが、ことしは、少し接近。シャッター優先で4秒くらいでとれば、花火らしくとれます。何のことはない自宅の2階からでもよくみえるのですが、ことしの暑さは尋常ではなく、夕涼みに人手は相当なものでした。来年はもっと接近したいと思います。家族がいっしょにくれば、楽しみなのだが、勝手にどうぞだって。


| | Comments (0) | TrackBack (0)

August 10, 2007

薩摩藩邸焼討1-5

Uchiiri

2007年8月9日、慶応3年1867年12月25日の薩摩藩邸攻撃を開始。薩摩藩江戸留守居役篠崎彦十郎が射されるシーン。8月10日第183回 大砲が撃ち込まれる。新徴組のメンバーも参加しているので、ここでリアルな記述になる。しかしここでは、相手方は逃げていっちゃうだけなので、本当の戦いシーンは、彼らが江戸を脱出して、庄内入り、戊辰戦争以後に出てくる。ずっと勝ち続けるところが話のみそか。いままで挿絵を引用したことはないが、新聞小説の楽しみはなんといっても挿絵。それを続々copyされては違法でしょうが、小さく1回だけ引用させていただきます。

|

August 07, 2007

花笠2

Hanagasa071

Hanagasa072

Hanagasa073

夜動いているひとをとるのはなかなかむずかしいようでした。おまけに人混み。花笠にこんなに人がでているとは最近にないことか、毎年のことか、山形にとってはいいことだ。ちょっと暗いかと思っていたが、さすが新型デジカメ一応とれてます。

|

北斎展

Yamabi2007

ちょうど本間郡兵衛の陰をさぐりに酒田の本間美術館へいこうかと思っていたが、夏の山形美術館は、北斎の富士山がテーマで、日曜日に急いでいってきた。なにしろ夏だといういうのに時間がない。冨嶽百景という白黒の富士の絵は初めてみました。こちらの方が北斎らしい。天童の広重美術館があり、広重をみる機会は多いのですが、北斎は、めったにみられませんので、いい機会でした。本間美術館の北曜さんの絵は飾ってあるでしょうか?

|

August 06, 2007

花笠

Hanagasa

Hanagasa2

10年に1回くらい花笠見物にいくこともある。きのう、先頭車の山形市長さまにミス花笠のひとがならんでいるところをねらってとってきました。あすは職場の参加があるのでもう1回行ってきたいと思います。花笠の場合はいい位置をとらないと全然撮影にならない。

|

August 05, 2007

長谷堂城2

Korori

Korori2

Korori3

Korori4

3回目は、よく晴れた日曜日。今回は例によって自転車でいってみました。頂上といっても15分くらいで登れるところからみる山形の風景です。客はもちろん私一人。きれいに草刈りがされていました。まあ何もありません。ころり観音は、普通の民家の庭を通らないといけない場所にありました。主水塚も発見。あとは菅沢の丘にのぼっていくと、直江兼継が陣をひいたところがあるはずです。まえに通ったことがあります。

|

August 04, 2007

挑発5-9

山形新聞連載 佐藤賢一 新徴組 第177回挑発9
小栗に続いて、きのうは勝海舟を登場させて、幕府側の状況を話させているうちに、松平権十郎に隠された「生傷」があることがわかる。
権十郎「、、、、庄内藩の足並を乱しているのは、全体どっちのほうだと聞いておるのだ、、、」...... それどころか片時も忘れることができない。それは胸奥に潜みながら、常に疼き続けている生傷の類だった。

で、やっと本日 庄内藩改革派粛正(丁卯の大獄 )の顛末を語り始めた。

このところ毎日山形新聞に鳥海山を実際登山して、実況中継する企画(鳥海山刻々)がのっている。この小説の後半戦には鳥海山登山をするので、要チェックです。のぼるところは同じコースのようですよ。さとけん小説に庄内の情景描写があるかな、というところ。

|

August 01, 2007

秋田の戊辰戦争-挑発2-4

Akita

秋田藩の戊辰戦争での動きは、この話では重要です。なぜなら、秋田は官軍となり、庄内藩は秋田深くせめこんでゆきます。詳細は内田誠一さんの秋田の戊辰戦争という論文とこの

加藤貞仁 戊辰戦争と秋田 無明舎出版 945円

をみるとだいたいわかります。その前に餌食となるのは、新庄藩です。庄内藩の動きは、この図が詳しいですが、秋田は佐竹様の久保田藩。はじめ奥羽越列藩同盟にはいっていたが、2カ月でぬけ、薩長方についた。その為周辺諸藩から攻め込まれる。庄内藩の攻撃は、図のように秋田奥深くまではいりこむ。最後に海からおくりこまれた佐賀藩の最新兵器によって盛り返す。最後のところで庄内藩にやっと勝って、庄内藩は引いて終結しますが、秋田は焼土と下す。戦後も得るものは何もなかった。庄内藩は勝ち続け、最後に引いて戦わないで降伏したので、庄内の被害はほとんどなく、その後もうまく立ち回る。明治初期以前書いた農民の騒動が起こるが、これは貧しいからではなく、戦後も居座った「庄内藩」が古い体質を改善できなかったからである。

おなじことを佐賀藩の立場から書いた記述もあり、必読です(佐賀藩の科学技術6、奥羽地方の戦局)。この戊辰戦争を引き起こし、その後に出来た政権が何をしたか考えるべきです。<明治維新を日本の夜明けと書いてある教科書もあるが明治維新は日本民族にとって暗黒時代の始まりであった。明治維新より昭和二〇年間の七十数年間は戦争にかり出され七、八百万人もの尊い人々が幸せな家庭生活より徴兵され戊辰戦争、西南戦争、中国、南方で餓死等非業の死を遂げた。短期間に日本国民にこれだけの死者を出した政権は日本歴史上最低の時代といえる。長崎、広島では十数万人もの人々が生きながら焼き殺された。一〇〇〇万、二〇〇〇万人とも数えられる他国民の生命を奪い取った時代の始まりを文明開化となぜ呼べるのであろうか。>会津3000名の無意味な殺人は、後の政権の本質をあらわしており、国家の破滅につながっていったという見方は前からありました。

小栗上野介が登場して、幕府方の意向もわかる。なぜこの時、菅が京へいっているかわかりにくい。へまして、失脚しかかって、なんとか助けて、京へやったというのが真相かも。小栗と菅は親しかったらしく、江戸退去のとき、菅は小栗を連れていこうとするが、断って田舎にひっこみ、首を切られてしまう。<官軍による強盗殺人です!>のちに菅は、小栗の従者の娘を妻にしている。

|

« July 2007 | Main | September 2007 »