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September 2007

September 30, 2007

紅葉を前に

Teiten070930
9月の定点観測。デジカメを念願の一眼レフにしましたが、慣れるまで少し難しい。妻が子どもの部活をとっていたが、失敗。この写真も少し露出オーバーです。暑い暑いといっていましたが、急に冷え込み始めています。いつものパターン。

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September 24, 2007

秋のあつみ

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江戸時代にも栄えたあつみ温泉萬国屋へ、山形から日帰りtourをおこなった。江戸期の絵図が舘内にかざってあります。今は高速道路で簡単にできるが、江戸時代には六十里街道を越えて歩いていくわけだから、たいへんだったことでしょう。やっとバスの中から鳥海山の姿をとることができました。いつも突然あらわれる庄内浜の海をみると、本当に落ち着きます。鶴岡から湯野浜にぬけるところ、今回のように南に走ってでてくる由良から南の海、そして酒田から北へゆきときの鳥海山とならんだ海。いずれも絶景です。こういう景色には、昔住んでいた仙台の海からは味わうことができません。萬国屋に最初にいったのは、今の新館のたつまえ、90年頃の夏のおわりでした。蛍がとんでいるのを部屋からながめた覚えがあります。2007年、新しいお風呂ができたというので行ってみましたが、その最初に行ったときの古い方の1階の風呂が新しくなったとかで、そちらは女性用の時間だったので、みることはできませんでした。外に前にはなかった足湯がありました。時代はかわってもお湯はかわりません。--足湯は、湯殿山のお参りを終えてでてきたところのやつが、霊験あらたかですよ。

本来2度3度お湯につかって、のんびりするのがいちばんよいが、いまの生活ではこれくらいでも満足です。食事は多すぎるくらい、風呂はすいていてのんびり、特に気を使うこともなく適当に紅葉前の温海をみてきました。


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September 23, 2007

気節凌霜道はるかなり

Kisetsu

岡田幸夫 気節凌霜道はるかなり 庄内武士の歩んだ糸の道 郁朋社   2007 1200円

これは、幕末から明治初期に松ケ岡開墾にはじまり、庄内に養蚕業を発展させた庄内藩士の話。 現在養蚕の線維産業の会社が2つしかのこっておらず、群馬県松井田の碓氷製糸農業組合と酒田市松山の民間会社松岡である。この松岡の歴史をひもといている。羽前羽二重というのが庄内にあったようだ。この記述から松ケ岡から、庄内のその後の産業が生み出されていったことがわかる。新徴組の脱走は一段落で扱われているにとどまる。菅はここではやはりりっぱなひとになっている。新徴組からみるととんでもない人物なわけだが、、、この本の中に桐生織物の歴史にも言及している。作者は桐生のひとです。つまりわたしの実家の有る町なので、この歴史が現在学習中のところとつながりがあることに驚く。明治初期に山形から群馬桐生に技術を学習に行ったひとがいるわけです。
高力直寛という松山藩の家老の家のひともその一人で、桐生織物では名のあるひとのようです。全然知らなかった。
平田米吉という人物も登場。
桐生織物の歴史
まだまだ知らないことは非常に多い。

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幕末山形藩2、釣り4-6

Yamagatahan

まだ夏の日差しの中、本沢からもどって、本屋にはいると、目の前に

横山昭男 山形藩 現代書舘 2007 1600円

がめにはいり、これは、即購入。山形市の江戸時代を知るのは、これをまず読まないと。さとけん新徴組のなかにはでてこないと思います。

釣り4---おみつさんの入浴シーン。庄内よいとこ。かれらは戦がはじまることを知らないのかも。
< 「総司も来られるといいですね}>

釣り5.6
挿絵ーーークロテ=黒鯛 を吊り上げるシーン。魚拓の由来について書いていますが、ほんとうでしょうか?このことをいくつかのsiteに書いてありました。

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September 22, 2007

長谷堂城3

Motosawa

Motosawapan

<史跡、文化の里 本沢 本沢地区振興協議会>というパンフレットから、長谷堂城でみなければならないところで、ぬけていたところを発見し、行ってきました。

長谷堂合戦戦死者供養塔;本当に普通の民家の間にあります。掃部の碑(加藤掃部左エ門)。湯の目の碑。

Kuyou

Soube1

Soube2

Yunome
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いずれも名の有る武将の記念碑のようです。残るは、一番奥にある滝の山遺跡です。これは春に行って、山桜を写してこないと。

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September 21, 2007

釣り3

山形新聞連載 佐藤賢一 新徴組 第223回(2007年9月20日)

引用
<  清川の関で下船して、そこからは再び歩かねばならなかった。が、その田舎道も残すは僅かに六里である。、、、、、、、

湯田川というところも、またひなびていた。隠れ里かと思うくらいに、ひっそり静かな山間の湯治場で、物音はといえば、冗談でなく雉(きじ)が鳴く声くらいしか聞こえていない。

「どっこい、庄内は悪くねえや」   >

挿絵:あやしいお地蔵様、どこにあるやつか?
小山松新徴組では、清川の清河八郎の実家の前を通るシーンを書いてますが、今回は素通り。しかし、戦いの第1戦は清川ですから、またでてきます。現在の清川には清河八郎記念館があります。お墓もあるようです。機会があれば見にいきたいです。
湯田川温泉には2度ほど泊まったことがあります。新徴組隊士の墓もあるようですので、ここにもまたいきたいです。
江戸期のおわりから明治初期に、このいごこちのよい庄内から、どうして逃げ去ることになるのか!もう、ここまで一気に描いてほしいところです。500回で終わるかな!

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September 19, 2007

幕末、上山藩、釣り2

山形新聞連載 佐藤賢一 新徴組 第222回(2007年9月19日)

予想通り、新徴組江戸引払いについて語り始めました。この記述は小山松新徴組に従っています。仙台から七ケ宿、昔の羽州街道はここと上山の楢下宿を結ぶ山道でした。上山温泉に泊まり、温泉に使ったと切腹した千葉の弟が書いていて、それを小山松新徴組、そして佐藤賢一が引用しているようです。そして新庄の最上川本合海までいって、舟で庄内入り。--そして上陸、するとそこは清河八郎の実家のある所。あすでてくるでしょう。ーー現在の山形市は素通り。この上山藩は、金子与三郎の上山藩ですが、薩摩藩邸焼き討ちのときその名が本文中にでてきたかどうかちょっと不明。この小藩は、山形藩、などと同じで初め西軍側につくが、その後庄内藩のまきかえしで、奥州列藩同盟に名を連ね、やがて降伏する。

本合海: 本合海は、陸路のない時代に内陸と庄内を結ぶ最上川船運の重要な中継地として栄えた。芭蕉乗船の地として有名。現在の船下りの乗船地古口はもう少し下ったところにある。

挿絵は最上川船下り!!わたしが1度だけこの舟下りをしたときの写真を出しておきます。
Mogamikudari

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日本海の夕陽、庄内

Japansea

きのうの日本海とは違いますが、これは温海の方の日本海の夕陽、しかも夏versionです。きのうのような夕陽もとりたいですね。釣り部の方、来年いきましょう!!

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September 18, 2007

釣り1

Shounai1

山形新聞連載 佐藤賢一 新徴組 第221回(2007年9月18日)

驚くべし、章はかわって、移動の行程などいっさいはしょっていきなり、庄内浜で磯釣りのシーンです。戦争始まるのにのんびり釣りですか。会話が信条の小説ですから、釣りをしながら情勢を説明していくという仕法でしょう。慶応4年4月10日夕方(夕まずめ)です。わたしの年表をみていただくとわかりますが、江戸開城の前日で、庄内開戦1週間前です。場所は油戸、ちょうど湯野浜と由良の真中あたりです。いよいよお楽しみ、庄内編のはじまり。しかし戦争ですが。

本家小山松新徴組をみると、その移動の人数、旅の経過など詳述されています。現在は湯田川温泉にいるはずです。

引用
< 「それにしても、でっかい夕陽だな」
と林太郎は声を上げた。それは蛇行する山道を踏んで、峠をこえたと思うや、いきなり現れた光景だった。一面が坩堝(るっぱ)で溶ける鉄にも酷似した、濃厚な橙色に染まっていた。圧巻なのは、それが月並みな夕空だけではないからだった。  >

夕まずめ:釣り用語で、太陽が昇るときとしずむときを「まずめ」という。
そして庄内竿の解説。
挿絵は、磯に打ち上げる荒波。

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September 17, 2007

幕末、新庄藩

Shinjyo

Shinjyo2

山形県で唯一官軍についたのが新庄藩です。現在進行形の「新徴組」の現在、庄内藩は、本間様の財力を使って武器を調達しているはずですが、新庄藩も同じように庄内経由で武器を調達していました。所が西軍がくると、西軍側につき、庄内藩の怒りを買い、逆に攻められて、新庄城を焼かれ、北へ逃げていきます。この新庄に4か月ほど住んでいたことがありますが、城跡など知りませんでした。図の城の絵が入り口にかざってあるそうです。近いのでそのうち行ってみます。江戸期ずっと戸沢家が治めていました。つい最近

大友義助  新庄藩  現代書舘 2006 1600円

という本が出版され、参考になります。もちろん新庄市史がいいですが、すぐ手にはいりそうもありません。

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夏目雅子

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Natsume3


ぶらっきーの夏目雅子を読んでから書くのは何であるが、わたしは夏目雅子のfanである。彼女は1957年12月17日生まれ、わたしは1958年2月6日で、つまり同級生なのである。夏目雅子の写真集を3冊もっているが、その3冊の発行年は1991,1996,2004でいずれも初版本です。町中の本やで毎回出ると即買っていた。ほとんど毎日山形で一番大きな本やに入っていたからである。今回見ていたらもっと新しいのもあるようですが(今回のテレビの原作など)このところ1−2週に1回くらいしか行けなくなったので見逃しているのかもしれません。ひまわりが好きだったんですね。ちなみにうちの妻は夏目雅子とは似ても似つかぬ人物です。

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September 16, 2007

夏の日差し、総司1-13

きのうきょうと異常な暑さ。残暑でなく、秋だというのに真夏の風情。壊れたデジカメをどうするか思案中。新型デジタル一眼レフはあるが、かさばるのでどうしても小さいのが必要だ。

OsiriXの必要スペックをみてがっくり。いつのまにやら最新型マシンでないとだめのよう。iLife 08 のIMovieも更新しちゃうと使えなくなる。結局、また新型マックの検討もはじめないといけなくなる。videoはFLV という形式が花盛り。学習しなければなりません。ニコニコ動画にたいへんお世話になりましたが、詳細は書きません。皆で楽しみましょう。

テレビはまだ4年の有余があるからいいが、困ったのは洗濯機。さて金がいることいること。

で、新徴組はというと、
衰えて江戸に戻った沖田総司と林太郎の会話が続いています。新徴組江戸出立の前にこういう機会もあったかもしれません。慶応4年(1868年)はじめ、新徴組はもうすぐ庄内へ向かいます。全体の状況をこの会話から述べているわけです。ずいぶんだらだらとした進行です。いくさの前の静けさ。

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September 12, 2007

ショックだ

首相の突然の降板は全然関係ないが、ショックをうけたのは、わたしの初代デジカメが壊れていることに気ずいたことです。現在デジタル一眼レフに移行中。

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September 08, 2007

勝沼精蔵3

勝沼事件のことを記載したものがIneternet上にないか調べていたのだが、ないと思っていたら、すこしあった。

加藤貞仁 幕末とうほく余話 飛び地領の人々

幕末期山形は、山形藩1つがあるわけでなく、実は小さな領地が入り組んでいた。そのうち前の領主秋元家の飛び地漆山陣屋も、山形藩、天童藩と同じ苦境に陥る。秋元藩は官軍側についたので、この小さな領地も官軍につくことにしたが、勝沼精之進らは、幕府側につくことを主張し、脱藩し奥羽列藩同盟に加わった。戦後秋元家で、謀反人とされ、勝沼は腹をきる。これが知られる事実だが裏があるようだと、後藤嘉一 漆山 「勝沼事件」とその子孫 (後藤嘉一著作集 第4巻 やまがた郷土史散歩 山形県民芸協会 昭和54年) に記載されている。ーーどっちが勝ってもいいように手をうったというのだ。小藩(藩にもならない陣屋)の悲哀。

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September 06, 2007

幕末、天童藩

天童藩は、織田家の生き残り。幕末の藩主は若き織田信敏。当初(慶応4年3月)薩長がせめて来たとき、天童藩は奥羽鎮撫使先導役が命ぜられ、兵をだします。山形藩も同様です。初め薩長側で、庄内藩との清川でのいくさとなりますが、庄内藩は強く、押し返されてしまい、逆に天童城もせめおとされてしまいます。この後4月23日奥羽列藩同盟が成立しますが、初め薩長についた天童藩で、家老吉田大八が責任をとらされ、切腹します。この件について書いたのが

童門冬二 幕末維新の光と影 光人社 1998 1700円
の中の <小藩の論理 天童藩家老 吉田大八>

です。

これと同じようにおこった事件が、館林藩におこった勝沼事件です。

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September 02, 2007

戊辰戦争に至る庄内藩の立場

Oobayashi
201回以降本日205回まで、この時期の庄内藩の立場を菅、松平、酒井玄蕃の会話によって説明しています。玄蕃が結核であることがあかされた他、この先の活躍が暗示されています。過去にこのこと(玄蕃の戊辰戦争における活躍)を書いた小説はないかもしれません。最近刊行された山形県文学全集(郷土出版社)の中に<大林清 庄内士族 昭和19年>が引用されています。この昭和19年刊行の原本を読みましたが、これは丁度戊辰戦争敗北のときからはじまる小説で、主人公は庄内藩士、新徴組の明治初期の扱いもでてきますが、菅も登場して、松ケ岡開墾のようすが描かれています。他にこの時期の庄内を描いた小説は知りません。

かれらの会話の中に「丁卯の大獄」ということばもでてきますが、この小説の中でいままで解説されていないように思います。またすでに、輪王寺宮をかついで、奥羽越列藩同盟のようなことを言わせていますが、これは早すぎるし、会津救済というところからはじまるので、こんなことここでいわないように思います。輪王寺宮についてはその人物を主人公とした吉村昭の最後の連載小説(朝日新聞)彰義隊に詳述されています。会話で社会情勢をまとめる手法で、なんか変だっていう気がします。英雄玄蕃の活躍をお楽しみに!

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