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October 2007

October 31, 2007

清川7-10,スナイドル銃1-9

Kiyokawaguchi1

初めは互角であった両軍に、新徴組も参戦し、戦いに初めて参加する。新型銃の威力です。きわめてリアルに描いているせいか、進行はきわめて遅いです。このへんは原文をゆっくり読んでいただきたい。小山松新整組の清川合戦の配置図を引用させてもらいます。ここは酒田へ車で行くときよく通ったところです。古戦場だったんです。山形市では、2年後の大河のクライマックスの1つ長谷堂古戦場が、職場の目の前です。だからどうだってこともありませんが、知らないと何気なく終わってしまうことを学ぶことは楽しいです。


Sakamoto

明治の酒井玄蕃の本を書いた坂本守正の書いた本を調べていたら、

坂本守正 戊辰東北戦争 新人物往来社 1988 2100円

を見つけたので、何だかわからないまま即ゲット。そしたら、これ庄内藩の戊辰戦争を詳しく書いた本だった。あとがきでは、明治編の前半生を書いたのがこれだって。この戦争を<第1次大東亜戦争>と言っている。太平洋戦争は<第10次大東亜戦争>と言っている。庄内藩はこの時何も悪いことしていないし、西軍に攻められる理由はまったくない。私怨だ。会津だってそう。会津3000人の死は、太平洋戦争の何千万の人の死の遠因である。ゆがんだ明治政権の成立が太平洋戦争終結までずっと尾をひいていくというのは、多くの人が語っている。理不尽なことが、権力を握ったものから行われるのは、いつの世も同じ。権力者はそれを正当化するだけ。

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October 30, 2007

庄内柿と酒井調良

職場で渋みがなくあまい種なしの庄内柿をたくさんいただいた。

庄内の秋の味覚庄内柿は、現在進行中の新徴組準主役酒井酒井吉之丞の弟酒井調良が最初に広めたものである。その弟黒崎研堂は書家として名をなしたとのこと。

現在楽しみながら追いかけているこの新徴組と庄内藩のたどった幕末史は、現在の庄内につながる数々の歴史を秘めていることがわかる。松ヶ岡開墾をとっても新徴組の人々からみれば、とんでもないことでも、その後の庄内には大きな影響を及ぼしており、菅実秀の評価にしてもいい面悪い面があることがわかる。

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October 27, 2007

流星ー酒井玄蕃

 星亮一 奥羽越列藩同盟 中央公論新社 から引用。

流星

庄内藩二番大隊長酒井吉之丞は、庄内一の勇将として知られた。新庄攻めの際、引き立てられた12歳の少年捕虜をあわれみ、路銀を与えて親兄弟のあとを追わせた話は有名である。少年はのちに弁護士となり、酒井との出会いを後世に伝えた。
陣中では常に兵と同じものを食べ、寝るときも軍装をゆるめず、革靴を脱がず、雨が降れば、まず部下を先に屋内に入れた。斥候を出せば帰るまで寝ずに待った。長谷川伸の「佐幕派史談」「日本捕虜志」にその姿が描かれている。 >

ということで、「佐幕派史談」の文庫版を日本の古本屋からget。長谷川伸の本は今ほとんど絶版ですから、朝日新聞社の長谷川伸全集に手が伸びたが、この「佐幕派史談」が入っていないので文庫の古書を初めて購入。結構きれいな本だった。酒井吉之丞がどこに書いてあるかよくみたが、真田範之助の項に、この人物が新徴組に斬られる下りででてくるだけだった。「日本捕虜志」の方を探してみたい。

庄内史話に昭和37年刊の「新庄市史」に描かれた酒井吉之丞のところが長く引用されている。

戊辰戦争後の吉之丞については、以前引用した

坂本守正 酒井玄蕃の明治  荘内人物史研究会 昭和57年 1300円

の本に詳しい。星亮一の奥羽越列藩同盟の引用箇所以後の明治の記述もこの本によっている。

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October 23, 2007

徳の交わり

Boshintohoki


加藤貞仁 戊辰戦争とうほく紀行  無明舎出版 1999 1800円

東北各地の戊辰戦争の後を訪ねて戊辰戦争を振り返っている本です。山形県のところをみてもいったことない所ばかりです。

本編は清川7−10,スネイドル銃1、この立谷川が最上川へはいる清川の情景を描いています。そしていよいよ林太郎たちも鉄砲持って出撃。結構実際にあったことをリアルに描こうという気があるようです。しかしこの調子だと明治編にはいったいいつになったらたどりつけるのやら、、、、と思っていたら、きのうの山形新聞夕刊のエッセイに<佐藤賢一 古今東西 徳の交わり>明治期のご存じ西郷と庄内藩の関係について書いています。(読みたい人いれば連絡していただければ、mailでpdf fileを送ります。)作者も明治編学習中のようです。

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October 20, 2007

訃報

Yuda

去る9月28日 夜 以前に勤務していた病院の病理医 湯田 文朗 先生(享年52歳)がご逝去されました。先生には、多数の症例の診断にご協力いただき、診断困難な希有な症例の学習にもご指導いただきました。さらにその成果の公表にも多大なご協力をいただきました。ここに謹んでご冥福をお祈りいたします。

本当にいい人ほど先にいってしまいます。この先生は顕微鏡が似合う方でした。


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October 18, 2007

清川6

山形新聞連載 佐藤賢一 新徴組 第251回(2007年10月18日) 清川6
清河八郎の父、斉藤治兵衛が挿絵で登場です。ーー本日これだけ。

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October 17, 2007

雷山翁筆清川合戦実録,清川2-5

Raizan

清河八郎の父斎藤治兵衛(俳号雷山)の書いた戊辰の役清川合戦の手記。清河八郎記念舘にて購入。16ページのcopy本。この中に挿絵ではいっているこの合戦の図が、

図録 庄内の歴史と文化 鶴岡市 平成8年

にのっている。雷山の実録には、酒田本間家蔵とある。
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Kiyokawa0710

清川の斉藤家に予備隊の林太郎たちがきたところまでがきょうのところで、小山松新徴組を見ると、このあと新徴組1番隊は羽黒山の守備につき、さらに立谷沢村木の沢部落から古口村にでる木の沢越えをして肘折にゆき、肘折にはいった西軍を追い払う。すごい山道だそうです。登山第1回戦といったところ。戦争なのに釣りの次は登山というところがおもしろい。さて今後どのように描かれるか?


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October 14, 2007

出陣式10-14,清川1

Honma0710

本間光美の名が登場。お墓はこちら。きのうの酒田の歴史に続いて

佐藤三郎 酒田の本間家 中央書院 1972 1200円

にさらに詳しく本間家のこと書いてあります。酒田市史、鶴岡市史がほしいが、絶版。古本やにはありますが、なかなかいいのがない。

酒井吉之丞の言葉
<「はは、沖田殿、ご心配なく。酒田の本間光美ですが、今回は十万両ほど出すそうです」>


<「清川だ」
4月24日、朝一番の報せに、鶴岡城は飛び起きた。ああ、そうだ。清川で戦が始まった。>
林太郎は予備隊に入っているので、初戦には出動していないようです。あくまで林太郎の眼からみた新徴組ですから。しかし待ちに待った戊辰戦争庄内編のはじまり、、、、、

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October 12, 2007

酒田三十六人衆

Sakatah1

Sakatah2

酒田の歴史は、平泉滅亡に始まる。それ以前にも、平泉と京を結ぶ中継点であったらしい。それ以後の酒田は酒田三十六人衆の歴史である。家臣36名を引き連れて平泉から逃げてきた藤原秀衡の妹といわれる人物は、秀衡の後室で泰衡の母、泉禅尼と言われている。立谷沢川沿いのところに隠れ、しばしば羽黒山に詣でたとのこと。いまでは立谷沢川沿いには何もないが、清川から羽黒山へいく裏道になっている。1193年源頼朝が羽黒山に戦勝を祝って人をおくった時に<宮野浦坂田>へ移住した。1217年泉禅尼が90歳でなくなると、残った遺臣が地侍として居着いて酒田港を開いた。この酒田三十六人衆の歴史は酒田港の歴史でもある。戦国期には堺のような自由商業都市であった。佐藤三郎の酒田の歴史に読みやすくまとまっています。支配者もその都度代わり、戦国期には上杉から最上へかわっていく。最上は江戸初期につぶれてしまい、酒井様がはいってきて、鶴岡の城を本拠としたために、酒田の方は城代がおかれただけとなる。酒田三十六人衆は、すべてが平泉以来の家臣ではなく、時代とともにかわっていったらしい。本間様も新潟からきたらしいが、肥大化して、幕末を迎える。この本間様の財力が、庄内藩を他の東北諸藩とは違う運命に導く。


長谷堂合戦のとき最上側で長谷堂城を守っていたのが志村光安で、戦後酒田の東禅寺城を改め亀ヶ崎城に入った。庄内の戦国史もまだよく知らないので学習が必要です。この志村氏の一族が、最上改易後東根地方に帰農して横尾姓を名乗ったとある。そういえば横尾さんという姓のひとが結構います。遊佐の光泉寺に志村光安の供養塔があるそうです。上杉方の直江兼続とならぶ、最上方の志村光安なのだそうだ。

参考文献

土岐田正勝 最上川河口史 2005 1857円

佐藤三郎 酒田の歴史 東洋書院 昭和61年 1800円

酒田三十六人衆の由来

酒田港の歴史

ブログ

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October 07, 2007

出陣式4-9

Sankyo07
「うめものは、おらだでく(うまいものは自分たちで食べる)」
庄内弁を多用しています。鉄砲1000丁調達した庄内の豊かさを述べていますが、本間様も登場か。この鉄砲買い付けについては、以前引用した 佐藤三郎 酒田の本間家に詳しく書いてある。もちろん金は、本間様がだして準備していたのです。そのことをうわさ話として、本日北前船の挿絵に酒田と本間様の名が登場。

新幹線にのると旅の雑誌が目にはいるが、今月の特集はこの北前船でした。山居倉庫の絵が表紙です。藤沢周平の海坂藩では、酒田は切りすてられていますが、江戸時代の酒田の繁栄、本間様、庄内藩は深くかかわっています。当然。

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October 03, 2007

蜩の二十五年も昔かな

Kiyokawa0710

Kiyokawa20710

Kiyokawa30710

庄内町(旧立川町)
の清川にある清河八郎記念館のあたりは、戊辰戦争の古戦場のあとでもある。わたしが、以前行ったときの写真をひっぱりだしてきました。江戸時代には芭蕉も通りましたが、明治初期、正岡子規が旅をして、「はて知らずの記」に書いています。あるいはこちら

漸くにして清川に達す。舟を捨てて陸に上る。河辺杉木立深うして良材に富む。此処戊辰戦争の故蹟なりと聞きて、
蜩(ひぐらし)の二十五年も昔かな

ここは、立谷沢川が、最上川へはいりこむところで、ここで庄内藩の戊辰戦争が火ぶたをきります。若いときからここはしばしば通っていますが、そういう眼でみたことは最近までありませんでした。その時戦って死んだ人々の墓もありますが、一度ゆっくり見にいきたいものです。

さてきょうのところ
山形新聞連載 佐藤賢一 新徴組 第236回(2007年10月3日)
< 鶴岡城は老公酒井忠発による決意声明に移っていた。しわがれた声を聞くほどに、林太郎の思いは切迫するばかりだった。戦が始まる。本当に始まる。官軍が攻めてくる。無敵の勢いそのままに、いよいよ庄内に攻めて入る。  >
ところが西軍を撃退しちゃうんですよ!!


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October 02, 2007

釣りー>出陣式1-3

慶応4年4月19日、鶴岡城に参集。
湯田川温泉隼人旅館の名が出てきます。4月11日江戸開城で、その説明が1段落。山岡鉄太郎、益満休之助、勝、西郷の名が登場。江戸無血開城後の会津藩は地獄。庄内藩も同じような立場なのに、違う運命をたどる。会津藩の運命は多くの書物に書かれている。わたしもいくつかもっている。庄内藩の人々、新徴組の人々より、個々の運命は詳しく知られている。しかもみな非常に有名。ここにいちいち紹介するまでもない。テレビでも何回もやっている。大河にはなったことはないが。2ちゃんねるの庄内藩の所でも、戦争に至る経過を話題にされている方がいました。負け続ける東軍の中にあって勝ち続ける庄内藩。初戦は清川口の戦い。まさに清河八郎の実家の前で行われる。

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