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October 12, 2007

酒田三十六人衆

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酒田の歴史は、平泉滅亡に始まる。それ以前にも、平泉と京を結ぶ中継点であったらしい。それ以後の酒田は酒田三十六人衆の歴史である。家臣36名を引き連れて平泉から逃げてきた藤原秀衡の妹といわれる人物は、秀衡の後室で泰衡の母、泉禅尼と言われている。立谷沢川沿いのところに隠れ、しばしば羽黒山に詣でたとのこと。いまでは立谷沢川沿いには何もないが、清川から羽黒山へいく裏道になっている。1193年源頼朝が羽黒山に戦勝を祝って人をおくった時に<宮野浦坂田>へ移住した。1217年泉禅尼が90歳でなくなると、残った遺臣が地侍として居着いて酒田港を開いた。この酒田三十六人衆の歴史は酒田港の歴史でもある。戦国期には堺のような自由商業都市であった。佐藤三郎の酒田の歴史に読みやすくまとまっています。支配者もその都度代わり、戦国期には上杉から最上へかわっていく。最上は江戸初期につぶれてしまい、酒井様がはいってきて、鶴岡の城を本拠としたために、酒田の方は城代がおかれただけとなる。酒田三十六人衆は、すべてが平泉以来の家臣ではなく、時代とともにかわっていったらしい。本間様も新潟からきたらしいが、肥大化して、幕末を迎える。この本間様の財力が、庄内藩を他の東北諸藩とは違う運命に導く。


長谷堂合戦のとき最上側で長谷堂城を守っていたのが志村光安で、戦後酒田の東禅寺城を改め亀ヶ崎城に入った。庄内の戦国史もまだよく知らないので学習が必要です。この志村氏の一族が、最上改易後東根地方に帰農して横尾姓を名乗ったとある。そういえば横尾さんという姓のひとが結構います。遊佐の光泉寺に志村光安の供養塔があるそうです。上杉方の直江兼続とならぶ、最上方の志村光安なのだそうだ。

参考文献

土岐田正勝 最上川河口史 2005 1857円

佐藤三郎 酒田の歴史 東洋書院 昭和61年 1800円

酒田三十六人衆の由来

酒田港の歴史

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