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November 2007

November 30, 2007

或る病院の一生

或る病院の一生という文章がネットで密かに話題になっているそうです。この文章の元は、この病院のライフサイクルで、そのモデルは、あるネットでの記事によれば、庄内余目病院と新庄徳洲会病院、湘南鎌倉病院と大船中央病院の4つの病院をあわせて書いているそうです。内容についてコメントする気はありませんが、一読に値するようです。

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November 26, 2007

秋田1-4

山形新聞連載 佐藤賢一 新徴組 第289回 秋田4 (2007年11月25日)

慶応4年7月3日 沖田林太郎親子は、秋田の居酒屋で秋田藩士の話をかげで聞いています。時間が相当飛んでいますので、総司ももうこの世にはいません。時間的には鳥海山登山はもうはじまるはずですが、新徴組も参加しているはずですが、やらないのでしょうか。飯を食いながら、秋田藩の動向を述べています。佐賀藩、前山清一郎の名がでてきます。最終的に佐賀藩のアームストロング砲が、庄内藩を秋田からおしもどすのですが、それはまだ先の話で、列藩同盟から秋田が西軍に寝返るところから、庄内藩の新庄焼き討ち、秋田進行となりますので、新徴組について述べるというより、庄内から戊辰戦争をみるといった側面が現在は中心となっています。

佐賀藩側からみた詳細な記述が佐賀藩の科学技術6に記載されています。

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November 23, 2007

11月の大雪

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11月とも思われぬ大雪で山形も積雪、もみじ公園の紅葉にも雪がかぶさっていた。もみじの撮影に多くの人がいた。いつもの定点はこのとおりで、長い冬にそなえて、肌寒いです。

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November 18, 2007

羽後

本日の吉永小百合さんのNHK特集、食い入ってみていました。わたしはさゆりすとではありませんが、この方も60すぎて、初老のおばあさんです。八千草薫みたいだって妻が言っていました。たぶんここに言っていない人生も隠れているのではないかと思います。

さて物語は、羽後探索だって!?どうなりますか。風林火山もいよいよ佳境。山形初雪、きょうあたりもみじ公園へなどと思っていたが、雨模様に,寒くて外へ出られず、夕から雪になりました。

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November 17, 2007

奥羽越列藩同盟2-7

わたしの新徴組年表から


閏4月4日庄内兵、天童城を攻略する。
閏4月19日 奥羽列藩同盟成立。
閏4月20日 総督府下参謀世良修蔵、仙台藩有志のため福島において斬られた。
閏4月28日 新徴組一番隊木の沢越え。
5月1日 新徴組一番隊肘折に駐屯。
5月5日 新徴組一番隊肘折出立。鶴岡に帰る。
5月15日 酒井了恒、鶴ケ岡に帰陣。これより先、米沢に赴き、奥羽諸藩の動向を探る。
5月15日 上野の彰義隊に大村益次郎率いる新政府軍が総攻撃を行う。
5月22日 益満休之助、上野にて死亡。
5月30日 沖田総司、療養先の千駄ケ谷にて病死。

年表をみると時間経過がよくわかりますが、
奥羽列藩同盟成立、世良修蔵惨殺、と社会情勢をのべてから、

<湯田川では湯宿を貫く1本道が、ゆるやかな坂道になっている。隼人旅館は坂道の左手、その中腹あたりに鎮座している。>
吉之丞が、湯田川の沖田林太郎を訪ねて、どこかに探索を依頼している。前に述べた木の沢越えがこのあとにくるのがわかるので、このことを言っているのか、江戸へゆき彰義隊をみて、もうすぐ死ぬ総司をみにいくのか?

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桶狭間

今週の風林火山は桶狭間。最近の大河の傾向でなるべく史実にのっとってやっているので、通説とはかなり異る話になっていた。今川がのんびり上洛していくような時代ではなかったろうし、作戦の一環で、ほんの一瞬のすきをついて、信長が勝ちをおさめたといえよう。武田側からみた今川は、これまでこの風林火山のなかでいつになく詳細に語られている。立場を変えてみることは、歴史の中では必要ですが、大河ドラマはまた薩摩側あるいは大奥から幕末をやるようですので、わたしは西郷隆盛について学習してみようかと思っています。

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November 11, 2007

奥羽越列藩同盟1

山形新聞連載 佐藤賢一 新徴組 第275回(2007年11月11日)

慶応4年6月鶴岡城内で、新徴組のものも含めて行進の練習を酒井吉之亟の監督で行っている。清川初戦と天童進行までしたところで、列藩同盟についてこのところ書いている。庄内藩の戊辰戦争を書くことが、新徴組を書くことであるかもしれませんが、この間人々の意志は全然なく、流されていきます。清川初戦は最初の見せ場であったでしょうが、次は新庄攻略、鳥海山登山、秋田攻略と勝ち続けます。やはり新徴組は明治編の脱走劇をみないと終われませんよ。

「その時歴史は動いた。」10月17日 第302回
義に死すとも不義に生きず 〜会津戦争 松平容保 悲運の決断〜

を見ましたが、その中で東北諸藩の名を出すとき、米沢、仙台はでてきますが、庄内はでてきません。庄内藩が独特の立場にたち、他と違った運命となることはあまり知られていません。なぜ庄内藩が朝敵にされなければならなかったか、ありえない!ですが、会津でさえも同じ。戊辰戦争はゆがんでいます。来年の大河は天璋院篤姫、逆に西郷隆盛側から現代的にみていただきましょう。その間に直江兼続の学習を進めていきましょう。

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松森胤保2

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博物館で松森胤保の特集をやったことがないか調べていたらすぐに図録を発見しました。

幕末明治の科学者 松森胤保の世界 昭和62年7月25日ー8月23日 致道博物館

庄内の平賀源内と呼ばれているmulti人間です。さらにこの人物の詳細な文献目録は下記にあります。

山形県立図書館

中村清二 幕末明治の隠れたる科学者 松森胤保 自文堂 昭和22年

を日本の古本屋から購入したが、古い学術論文で読みにくい。少しずつみてみます。

わかりやすいところでは、

街道の日本史11 最上川と羽州浜街道 横山昭男 吉川弘文舘 2001 2300円
松森胤保と博物学 pp229-234

に記載されています。


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November 07, 2007

美女いくさ

山形新聞の新徴組の連載を楽しんでいる毎日ですが、もうひとつ読売新聞の夕刊連載の<諸田玲子 美女いくさ>も読んでいる。これは、お市の方の娘3人の末娘で、徳川秀忠の正室お江与の方、3代将軍家光の母の話。現在は豊臣秀次がまだ存命で、初めの夫佐治一成を愛しながら、第2の夫豊臣秀勝を朝鮮の役でなくして、徳川の嫡男秀忠のとつがせられようとしている。秀勝との子(話のなかでは佐治一成の子)完子は、淀君に預けられている。いまはやりの大奥の序章を、春日局でなく、お江与の方の眼からみることになる。毎日話の進行が楽しみです。

なおこの小説の挿絵は安里英晴で、新徴組とおなじ方ですので、絵の描き方も似ています。

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November 05, 2007

天童1-4

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小山松新徴組では、天童攻略は、<閏4月4日、寒河江、柴橋の預かり地警護のため、六十里越を通って村山郡に押し出した兵は、ついに天童城を陥落させた。>だけで、前述の木の沢越えにいっている。たぶん新徴組は参戦していないのかもしれない。清川の初戦から一気に六十里越えして村山地方での戦いとなる。ところがこの戦い前回の坂本戊辰東北戦争では、第2の戦いとして描かれ、さらにずっと以前に読んだ

後藤嘉一 やまがた明治零年、山形商業史話 山形郁文堂 昭和42年

に詳細に記載されている。山形藩は、西軍にしたがいながら、庄内藩と密約をかわしていたという。この時の戦いで、山形藩大久保伝平らが戦死している。もちろん山形藩は水野三郎右エ門元宣が指揮している。天童藩織田氏は、吉田大八の登場。庄内軍は強くあっという間に天童を制圧してしまう。しかしそれ以上は押し出さず鶴岡へ引き返す。そして列藩同盟の成立へ向かう。

この天童から寒河江の広い地域での戦いも絵図になっていて、山形市役所の地下の売店で買った

図説 山形の歴史と文化  山形市教育委員会 平成16年 10000円

の212ページの天童居城焼き討ちの図に掲載されています。引用するには見開きページでだめでした。


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November 04, 2007

秋深く2007

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仕事で近場の霞城公園へいったので、山形の秋をとってきました。いつもの定点観測も秋深くという感じです。日曜返上ですが、ここちよい一日でした。

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松森胤保

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山形県立博物館

庄内博物誌

−図譜から見た自然の移り変わり−

   会期:2007年11月3日〜12月16日

が始まったが、パンフレットも何もなく、松森胤保(たねやす)の登場にしては淋しい。むしろ企画展松森胤保と大々的にやってほしい。


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経歴
年譜
松森胤保と両羽博物図譜酒田市立図書館版図譜のデジタル版を見ることができます。
慶應義塾大学版
墓所
著作目録

ということで、インターネットのほうが、博物舘の展示よりずっと詳しいのです。この年表にみるように庄内藩の支藩松山藩の家老として、薩摩藩邸焼き討ちに参戦。これからの秋田奥深くまで攻め入る戦いも1番大隊で指揮をとる。

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