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December 2007

December 31, 2007

新庄4-5,子供

新庄の焼け野原のなかから何が登場してきたかというと二人の兄弟。すぐに玄蕃が捕虜を助けたという有名な話が思い浮かぶ。その話をさとけん新徴組風にアレンジしているのかもしれません。新庄市史の中にも記載されているとか。真相は、坂本戊辰東北戦争の<酒井玄蕃、少年捕虜に「涙欄干」pp107-8>に記載されています。玄蕃の漢詩「涙欄干」で有名なようです。助けた少年は新庄藩士小磯条左衛門の次男忠之輔で、後の宰相小磯国昭の父進の弟、つまり小磯国昭の叔父さんであったそうです。そのことは小磯国昭が自分で獄中で書いているそうです。攻める庄内藩は規律正しく、われわれが会津戦争の記載で読む薩長側の悪行の数々と比べものにならない。これが同じ戊辰戦争かと思う。まだまだ庄内藩の戊辰戦争は続きそうです。鳥海山登山をはしょることはないでしょう。

2007年はひたすら働いていたら、過去最高額の源泉徴収票をいただいた。それほど稼ぐ気はないのだが。2008年はこの生活の中からもう一仕事してやろうと思います。

ことしのアクセスKey Wordsのtopはなんと2回しか書いていない美女いくさでした。いかに読売新聞が読まれているかわかります。第2位は新徴組です。そのことを書いているのですからあたりまえですが、localな新聞連載では、なかなか数は増えません。この小説、全国のひとが注目するでしょうか?

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December 29, 2007

新庄1-3

新徴組にあたえられた仕事は、焼け野原となった新庄の見回りであった。で、例によってその顛末を述べています。
<7月13日、庄内藩は舟形の戦いを制していた。>
<実際のところ、西軍は城下に通じる羽州街道の前面、新庄鎮護の鳥越神社を背負うような位置に、大量の土嚢を運びこんでいた。>
<夕七ッ(午後四時)になって、いよいよ城下に突入するや、三千戸といわれる町並からは、すでに火の手が上がっていた。>
相手は薩長の精鋭であることを強調しています。
<「輪をかけて、酒井吉之丞は凄え」
林太郎は真実舌を巻く思いだった。なんとなれば、大胆不敵な用兵の冴え渡ることときたら、どうだ。行くときは行く、引くときは引くと、本番の戦場にもかかわらず、その冷静な判断力ときたら、どうだ。なかんずく、友軍の士気が落ちたとみるや、銃弾降るなか自ら先陣きって飛びこむ勇気ときたら、どうだ。
「やっぱり、普通の人間じゃねえ」>
いよいよですね。
舟形から新庄が戦場になっています。鳥越神社ってまさにあの病院の裏ですよ。

Shinjo3

郡義武 秋田庄内戊辰戦争から引用


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December 24, 2007

破軍星旗7-9

3回目の戦闘シーンです。薩摩、長州の主力はまだここにはいないのでしょうが、やられている新庄藩兵もお気の毒です。ここの戦闘には、でてきませんが、松森胤保も、明治期の活躍する松本十郎もいます。坂本東北戊辰戦争には、このあたりの記述で登場しています。新徴組の人々はここにはいません。新徴組の動きについては、小山松新徴組に

< 7月13日、新徴組は清川に出張、新庄攻略に向かう。14日新庄陥落の報があり、また吹浦救援の命を受けたので途中から引き返し、16日最上川を下り、酒田に着く。
7月19日、新徴、新整、集合、奇銃の諸隊を合して四番大隊を作る。隊長水野藤弥。>

とある。このあと新徴組は矢島城攻略で、鳥海山登山です。中盤の山場。後藤嘉一のやまがた明治零年は、山形藩中心に書いていますが、この辺の記述は詳しく、鳥海山登山の話を初めてみたのはこの本です。

12月22日の山形新聞の一面に<庄内藩が広めた"王道”、 「南洲翁遺訓」から学ぶ>という記事がでてきます。
<戊辰戦争で官軍と対決、降伏した庄内藩に寛大な処置をとったのが、官軍参謀、黒田清隆。それはすべて西郷の指示だった。感激した庄内藩はその後、下野し鹿児島に帰った西郷を訪ね、教えを仰いだ。>
戊辰戦争後、庄内藩はなくなるはずなのに、うまくたちまわって、その後もそのまま権力を維持し、明治初期の庄内を牛耳る。これおかしなはなしです。菅実秀と松平権十郎ですが、それがそのまま明治期の新徴組の運命に大きな影響を及ぼす。これを書いてもらわないと。

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December 23, 2007

忘年会2007-3

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山形市中心部のいちばんたかいところから、山形市中心部地上の夜景をとりました。ごらんのように中華での女性ばっかりの宴会でした。

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December 21, 2007

破軍星旗2-6

いよいよ玄蕃の活躍。新庄攻め!!

<7月4日、まずは、松平甚三郎が率いる一番大隊が鶴岡を発ち、六日には吉之丞の二番大隊がそれに続いた。清川で乗船、最上川を上り、本合海で上陸、新庄を横目にしながら、山形、上山、米沢と羽州街道の南下を進め、終に会津領に入るというのが旅程だった。
,,,,,,,
が、その楯岡に飛びこんできたのが、探索に出していた沖田林太郎父子だった。>

沖田の秋田探索は創作かもしれません。


<「ああ、我らが討つべき敵は、まさしく破軍星またたく北天の下なのだ。」
,,,,,,
庄内藩大返しの始まりだった。それが吉之丞の厳命で、地獄の強行軍になっていた。>


<庄内藩二番大隊は7月11日の夕には、もう舟形まで戻った。
、、、、
近く新庄城下に迫りながら、他面で舟形は小国川に隔てられているために、いきなり西軍が寄せてくるような事態になっても、大慌てにならずに済むのだ。>

<新庄からの庄内道は、小国川の北岸に通じていた。,,,,,,,,,,,,
「だから、撃つな。いよいよ西軍の本隊が来れば、それを間近に引き寄せてから撃て」しかして、太鼓の音は聞こえてきた。柏木台と屋敷野に挟まれた細い道は椚坂(くぬぎ)、もしくは庄内道から分かれる山裾に家が四軒ほど並んでいることから、四屋坂とも呼ばれていた。その隘路(あいろ)を錦旗の群れが、窮屈そうな二列縦隊で進んできたのだ。>

その西軍の行進の図が挿絵になっています。

坂本東北戊辰戦争の挿絵を引用して、場所を確認しておきます。第3の戦いの始まり。これだけ詳しく書かれると、新徴組が活躍する鳥海山登山鵯越も期待されますよ。

Shinjojo1

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December 19, 2007

忘年会2007-2

Hikari

Hikari2

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連チャンの忘年会ですが、山形駅近くの風景も仙台のまねして、きらきらきらきらしています。


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December 16, 2007

破軍星旗1

佐藤賢一 山形新聞連載 新徴組 309回 破軍星旗1 2007年12月16日

<その指揮を任されるや、酒井吉之丞は庄内藩二番大隊の印として、七星旗を高く掲げた。,,,,,,,,,
「進め、進め」>

長々と秋田での、仙台藩士殺害の状況を、林太郎親子の目でみていましたが、いよいよ玄蕃の出撃です。この北斗七星の旗は、致道博物館の庄内史話の中に写真があります。庄内軍の進撃路もここにあります。これは、郡義武の秋田庄内戊辰戦争の中の挿絵と同じです。新徴組は、小山松新徴組からすると、鳥海山登山から矢島攻めの奇襲をおこなうので、そのうち書かれることと思います。まずは酒井玄蕃の新庄攻め。

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December 11, 2007

忘年会2007

07bounennkai2

07bounennkai

去年に引き続き、忘年会に職場のentertainerの登場です。歌はプロ級のようです。こちらの方は広告塔で個人情報はないようなので、無断掲載させていただきました。師走の風景をとりたいわけですが、寒波がこないで、うすら寒い変な天気です。惰性で日々が動いていきます。

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December 06, 2007

佐藤賢一 新徴組 1-300

山形新聞連載 佐藤賢一 新徴組 第1回ー第300回 (2007.2.6-2007.12.6)

序章 壬生1-13
浪士組  1-9
御預かり 1-8
大試合 1-13
庄内藩 1-10
江戸市中取締 1-14
練兵 1-13
長州藩邸差押 1-14
近藤勇 1-8
介錯 1-12
おまわりさん 1-10
突入 1-8
裏金 1-14
清河八郎の亡霊 1-10
黒幕 1-12
挑発 1-10
薩摩藩邸焼討 1-15
江戸払い 1-13
総司 1-14
釣り 1−11
出陣式 1-14
清川 1-10
スナイドル銃 1-10
天童 1-9
奥羽越列藩同盟  1−11
秋田 1-14
仙使 1

今年はじまったこの小説も中盤の山場一歩手前です。長々と秋田に忍び込んだ林太郎親子は秋田藩士の動きを探りながら、
7月4日 秋田藩士が、仙台藩の使節一行を惨殺。
への解説を行っています。
この調子ですと西郷さんが鶴岡を歩くまで、あと100回以上でしょうか。明治編もそのまま行くとして500回は軽く越えますね。

Akitaboshin

郡義武 秋田庄内戊辰戦争 新人物往来社 2001年 2800円

は、慶応4年7月6日の鶴岡出陣から、その西郷の鶴岡入城の9月26日までを描いた1冊の本です。玄蕃の戦は、もしかして初めて小説として描かれるのかも。新徴組もここで活躍。会津戦争とはまったく異る展開ですよ。


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December 01, 2007

美女いくさ2

秀次の切腹、そのあとのその妻、子ども、駒姫の処刑、それに続く徳川秀忠のところへの嫁入りと、この話の中では重要な場面が続いています。

<妾のなかには、まだ召されたばかりで寝所へあがる前の娘もいたとやら。唯一、命を助けられたのは、池田恒興の娘の若政所のみだった。>

23歳の3度目の嫁入りのお市の方の3人目の娘が、初婚の17歳の徳川秀忠のところへ輿入れ。作者の想像力の見せ場です。よく知られているように、秀忠はほかに側室をもたず、唯一の隠し子が、会津の祖保科正之です。まったくこの妻に頭の上がらない夫になってゆきます。どう話が展開しますか。

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