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January 2008

January 28, 2008

矢島4,5-戊辰戦争と東北

早朝、下り始めました。矢島奇襲直前です。

山形新聞夕刊 古今東西 佐藤賢一  戊辰戦争と東北 2008年1月28日
小説の解説版のようですが、
<今も会津には長州憎しの思いが、庄内には逆に奇妙な薩摩びいきが残っている。>
のところが気になります。よくここのところを小説の中で解説してもらいたいと思います。

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January 26, 2008

美女いくさ4

読売新聞の諸田玲子 美女いくさは、小督がおなかが大きくなって、(どうやらこれが家光みたいですが)、千姫を豊臣に嫁にださなければならなくなったところまできました。お江与の方からみた戦国の流れには、なるほどと感じる点が多いです。話の進展を注目しています。

同じ歴史でも視点を変えると全然違う話になるのは、これも新徴組も同じこと。

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鳥海山登山-矢島3

2008年1月26日 山形新聞 連載 佐藤賢一 新徴組 第349回 「矢島3」

鳥海山の山頂で夜明けまで仮眠をとっているとき、土方と話しているとき聞いた沖田総司の死(約2か月前)のことを思った。挿絵は鳥海山でなく総司のようです。この白い紙にのった短刀は何なのでしょう?
あくまで新撰組にこだわる姿勢が伺われます。

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鳥海山登山ー矢島1、2

2008年1月24日 山形新聞 連載 佐藤賢一 新徴組 第347回 「矢島1」

ついに鳥海山登山を開始しました。この小説では、中盤の山場です。

Choukai08

<(慶応4年)7月26日,庄内藩4番大隊別隊は蕨岡登山口に詰めた。>
<実際に歩き始めの半刻ほどは茹(ゆ)だるような気分だったが、それも稜線伝いに緩やか道を進める横堂までだった。
横堂からは、いきなりの急坂だった。>
<黒いくらいに緑鬱蒼たるブナ林を行軍して一刻余、河原宿の山小屋で初めて休憩を入れたが、、、>
<見上げる山肌に白いものが、いくつも縦の筋になっていた。>
<山頂まで一息という七高山に達する頃には風も強くなった。>

2008年1月25日 山形新聞 連載 佐藤賢一 新徴組 第348回 「矢島2」
<鳥海山越えは確かに尋常な話ではなかった。>
<四番大隊別隊は鳥海山頂の大物忌神社に入っていた。>
<鳥海山も頂で明かす夜ともなると真冬に等しかった。>

西軍の会津侵入の直前にこんなことしている人々がいることは驚きです。安里英晴さんの挿絵引用は2回目です。矢島2のほうでは、鳥海山を行軍するひとびとでやはり鳥海山の絵も入っています。google画像検索で多数の鳥海山のアングルがでてきます。車で鳥海山の上の方までいったことありますが、手持ちの写真はなく残念。

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January 24, 2008

米沢藩

現在進行中の庄内藩の活躍に比べて、米沢藩と仙台藩の不甲斐ない戦いぶりにはあきれますが、米沢藩の動きについて、ここに詳述されていました。列藩同盟の敗色が濃くなっていったとき、きわだった強い庄内藩、金持ち(=本間様)庄内藩が、戦後の庄内の運命を決めていったのですが、それとともにある新徴組隊士たちの運命の方は、この小説の本当の主題ではないかと思われますが、まずは、知られざる庄内藩の戊辰戦争を正確に示すことが必要でしょう。

土方の登場は、これからの勝ち戦でなく、本来の東軍の形勢を示すために使われています。江戸はすでに開城しています。白河攻防は形勢不利、そして会津戦争へ。庄内藩は秋田へ攻めて戦後処理を有利に導いていきます。

きのうまで積雪0の山形でしたが、どうやらようやく本格的な寒波。雪が積もりそうです。

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January 20, 2008

冬の山形

Hasedo08

Gassan08

左は長谷堂と菅沢方面を望んでいます。関ヶ原の時の長谷堂合戦の舞台です。来年の大河では山場の1つとなるでしょう。右は月山です。冬場は雲に隠れて山頂はなかなかあらわれません。その写真をとろうと思ってから、1回しかみていません。まだ写真におさめられません。以前春の晴れた日にとったのがありますが、ぜひこの冬中に1枚とりたいです。

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January 17, 2008

土方歳三酒田に出没

鳥海山登山の前に、やはり土方が酒田にあらわれました。史実がどうかは知りませんが、先に記述したようにこの時期の土方の動きは不明ですので、あってもいいかもしれません。このあと土方は会津戦争最初の戦い母成峠の戦いに参戦します。

Warabi地図のAの場所が蕨岡上寺の新徴組集合場所、酒を飲んでいるのが酒田で、鳥海山の位置もわかります。ここも蕨岡上寺の記述があります。

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January 15, 2008

土方歳三3

<鳥海山は「出羽富士」とも異名をとる羽州随一の名峰で、実際の地勢としても羽前と羽後を隔てる大きな壁になっていた。これを避けるようにして、三番大隊は海岸沿いの街道を北進している。が、その裏側が矢島であるから、こちらは鳥海山から逃げるわけにはいかないのだ。>
新徴組鳥海山登山前夜であることが明かされましたが、まだ土方登場せず。

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January 14, 2008

ようやく冬に

2008kajyo2

去年ひどい暖冬(雪なし)だったので、ことしはさぞかし寒いことと覚悟していたが、比較的おだやかな雪のない日が続いていたが、ここにきてようやく冬の姿に。現在積雪5cmくらいで例年と比べれば非常に少ない。今週はずっと雪とのこと。もっと真白な山形をとりたいものです。

2008kajyou1

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土方歳三2

<慶応4年、戊辰の年も7月24日になっていた。,,,,,,新庄から鶴岡に戻ろうとしたところ、新徴組は清川で舟を降りず、そのまま最上川を酒田湊まで下れ、、、、、、>

わたしの新徴組年表では、
7月27日 新徴組が鳥海山登山、頂上に宿泊する。
7月28日 新徴組が鳥海山矢島口を下り、矢島城を攻略する。
ですから、幕末編のクライマックスです。

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January 13, 2008

土方歳三1

山形新聞連載(2008年1月13日) 佐藤賢一 新徴組 第336回 土方歳三1 

新徴組の人々は酒田湊のだるま屋で酒を飲んでいます。もう登山かと思ったら宴会に土方!はて!?
<波音が聞こえるような湊だけに、吹き入る夜風が心地よかった。ノドグロに、カレイに、キスに、岩牡蠣と、夏場はこれという地物の魚介が美味であるうえ、江戸で修行を積んできた若い板前の腕まで鳴るときて、だるま屋は酒田湊でも評判の料理屋だった。>
なぜ<だるま屋>なのかはわかりません。
土方歳三は4月の宇都宮城攻防で足に被弾し、新撰組も参戦している白河城攻防には参加せず、7月に会津戦線で復帰、8月21,22日の母成峠の戦いに参加。敗色濃くなると、ここで庄内に援軍をもとめようとするが、このころ米沢が恭順に傾きはたせず(ここのところwikipeiaはまちがって書いている)、仙台に向かい、10月に石巻から榎本艦隊に合流して蝦夷をめざすので、けががなおりかかりの頃ですから、もしかして酒田に出没か?

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戦略1-8

酒井吉之丞と林太郎の会話で、戦争の現在(慶応4年7月)の情勢と今後の庄内藩の進行計画について述べています。新徴組4番大隊の結成と作戦です。つまり新徴組鳥海山登山が次にきます。白河口で、会津、米沢、仙台がもちこたえられなかったことが、会津の悲劇と戊辰戦争をなりゆきをきめたようですが、庄内藩は、裏切った秋田に攻め込みます。玄蕃は1回も負けないで終戦をむかえることになります。

<ひとつ特別な仕事をお願いしたく。
「それというのは」
「矢島攻めです」
ひとつ奇策を奇策を考えてみました、と酒井吉之丞は明かした。」
、、、、、、、、、
「ですから、その矢島を事前に制圧する仕事を、新徴組にお願いしたいのです。」
、、、、、、、>

次回鳥海山登山(戦争なのに庄内浜の釣りに続いて登山)、どのあたりでの会話になるでしょうか?

Yajima1

Yajima2

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January 12, 2008

美女いくさ3-大奥のはじまり

読売新聞の諸田玲子、美女いくさは、関ヶ原に向かっています。秀忠の嫁になって、3人の女の子を産み、江戸に住むようになったところ。戦況が伝えられてくるだけですが、もし負けていれば命もない境遇です。細川ガラシャ夫人の死が伝えられました。見方をかえると違うことを考えています。これが徳川将軍家の奥様の生活のはじまり、つまり大奥のはじまり。そのうち家光出生、春日局登場でしょうが、それはずっと先の話。関ヶ原も、夫秀忠の遅参も又聞きで終わっています。その後の情勢も伝えていますが、淀君に手紙を出しても返事がこない。豊臣と徳川の関係がよくテレビでやっているようにおかしくなってくる時です。このような立場からの話は初めてみるので非常におもしろいです。展開に注目。

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January 02, 2008

謹賀新年2008

ここ数年1月になってから届いた年賀状にだけ、年賀状を書いていたのでだいぶ減りましたが、ことしは去年中に一応年賀状を出し終えました。この状態になってからもだしてくれる方は貴重です。惰性で書いているのが多いと思いますが。多分ネットが普及してもこの年賀状の習慣はなくならないでしょう。

政治なんて関係ありませんが、去年年金のずさんな管理が明るみにでて、その前からやっている年金の無駄使いとあわせて、今の政権は終わったと思いました。民主党もさえませんが、出直しの受け皿としてはそれしかない。けじめをつける意味からもこの平成20年は政権交代でしょう。自分の年金歴も調べました。むかし所属のずさんな管理をされたためかだぶってはらっている月、と未納の月が1カ月ありました。いまさらどうにもなりません。

ことしも引き続き 山形新聞連載 佐藤賢一 新徴組を読みながら、山形の幕末明治初期の学習を続けていきます。
2008年1月1日は、第325回 新庄6 で、庄内藩の規律正しい戦場での行いを書いています。本日あすと<白虎隊>をテレビで再放送していますが、何度もくりかえすようにこの庄内藩の戦いはまったく異るし、戦後の運命もまったく異ります。会津も庄内ももちろん何も悪くない。会津3000人のむだな死と明治初期の斗南藩での悲惨な生活、これはよく知られています。庄内藩はなぜか戦後も<庄内藩>なのです。藤沢周平の海坂藩は、庄内藩の酒田をとり去った鶴岡だけの小藩ですが、酒田を含む庄内藩は、でかい、本間様の財力で金持ち、しかも人もりっぱだ、と完全にいいきれるかどうかは、今後の新徴組の運命もあわせて、あやしくなってくるのだが。ここに光をあてたこの小説の成功を祈りたいものです。わたしは明治期の新徴組の方々の運命の書き方に興味がある。その前に玄蕃にもっとかっこよく活躍してもらいたい。

また篤姫でまた幕末を薩摩側から復習するとともに、来年の直江兼続にそなえて山形戦国の学習も進めていきます。グルメも書きたいが、なかなか余裕がない。ぼちぼちいきたいです。

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真田太平記

むかし大河ドラマはみるもので、保存してまた見ようなどとはおよそ考えたことはなかった。VHSのテープの時代でもせいぜい総集編をとっておくだけだった。いまはDVDが普及して、ちょっと手間をおしまなければ、全部保存してもたいして場所もとらない。ちょっと高いがDVDで昔の大河をみることもできる。もっと極端なのでは、にこにこ動画などで、別にコスト負担なく、運がよければ昔の大河をみることもできる。そこにのっていること自体違法なので、書かないでいたが、去年はにこにこ動画で真田太平記を全部見てしまった。どうやら年末についに削除されてしまったようなので、書くことにした。放送は1985年のNHK水曜ドラマ、わたしが大学4年のときです。今の時代劇と異り、ほとんどまんがのような作りですが、今見ても十分楽しめます。引退した遙くららさんのお江は忘れられません。その原作を新潮文庫で読んだのが、仕事の専門医試験の時でした。勉強を強いられる時には違うことをしたいものです。現代にいきる真田物では最高傑作でしょう。再放送してもらっても見る人は多いのでないかと思います。個人が、それをデジタル化して投稿しちゃうのはまったく違法で、にこにこ動画にはそのようなものが少なからずありました。独眼竜政宗、大奥など。今はみな消されています。しかし多少の金はらっても昔のドラマをネットでみることができれば、違う発見をすることもあるし、記憶違いを確認することもできる。そういうことが可能な時代になったのでしょうが、みている時間がないというのが正直なところ。今の正月番組みているなら、過去の優れた放送をみた方が有用な場合も多いかと思います。この翌年に放送された武蔵坊弁慶もよくみていました。玉虫の荻野目慶子がよかったです。機会があればまたみたいです。

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