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March 2008

March 23, 2008

高山寺

Kozanji1

Kozanji2

Kozanji3

Kozanji4
Kozanji5
Kozamji6
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3月半ばの京都はまだ桜はなし。時間があったので、前から行ってみたかった鳥獣人物戯画のふるさと高山寺へパンフレットに書いてあるようにバスでいってみた。往復割引で800円でした。1時間ほどかかる普通のバスのコースで客は最後は数人になってしまう山奥。いったいどんなとこまで行くのかすこし不安になった。パンフレットでみると紅葉のシーズンがいいみたい。山の中の鄙びたお寺。石水院という建物に300円ではいることができましたが、なんとこの建物自体が国宝。鳥獣人物戯画の複製がかざってありました。本物の1つは以前に国立京都博物館でみました。無造作にかけてある明恵上人の樹上坐禅像も国宝。
Kozanji7
鳥獣人物戯画の左上野佛眼佛母像も国宝。お宝がたくさんかざってありますが、人は全然いなくて他に女性2人つれだけでした。この建物からみる紅葉がいいみたい。鳥獣人物戯画のgoodsがおみやげ用にたくさんありましたが何も買わず。山の中に分散していくつかの建物がたっていました。天童の若松寺とにています。清水寺の人混みの行列とはまったく異る京都です。いつかもっと年をとったら秋に妻ときてみたいと思いました。帰りのバスの途中多くに人がはいっていくお寺があったのでついでにいってみたら仁和寺で、京観光のホットスポットの1つでした。五重の塔に桜の木がたくさん、ここが満開になると有名な場所のようでした。知らぬはわたしばかりなり。


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March 18, 2008

御家禄派

小山松新整組の最後のところを引用する。

<ワッパ騒動で農民に敗北し、また西郷隆盛という頼るべき支柱を失った菅実秀は、政府の中に語るべき人物は無しとし、官途についている旧藩士を、旧藩主の命令としてことごとく庄内の地に召還し、華族である旧藩主は東京に住むべしとの政府の命令にさからい、「旧藩主は病気なり」を口実として鶴岡に住まわせた。旧藩主を中心に、菅実秀の指導に従う者が一致団結した。これを御家禄派という。

御家禄派は明治19年頃から酒井家の資産を以て積極的に経済界に進出した。松ケ岡開墾にいよいよ力を尽くし、酒田米穀商会、第六十七銀行を設立し、酒田米穀取引所、山居倉庫を開設する等、士族の授産に貢献した。実は封建的主従関係を基本とした経済的団体であった。----(これが現在の庄内を作っている。)-----それで御家禄派に属する者は、生活が保障されていた。一般士族は、窮乏の末、北海道に移住したものが多かった。こうした者の生活ぶりとは類を異にするのである。

、、、、、

さて、新整組は庄内藩に対し、忠誠の実を捧げ尽くしたが、明治維新後は旧庄内藩である大泉藩、大泉県、第2次酒田県にはそれが通せず、ただ旧庄内藩から利用され、虐待され、満腔の不平不満から怨思をいだき、生命をかけて庄内を脱走し、東京に出たのである。ところで深く農民に同情をよせた熱血あふれる新整組の若い士は、ワッパ一揆に関わった。これが一応農民の勝利となり、この新整組士たちも東京に出た。東京に出た新整組士は、社会の渦にまきこまれ、散り散りに消えていったのである。----新徴組の運命もパラレル----

小説ではこの問題は回避。ものの本によれば、この御家禄派が庄内をつい最近まで牛耳っていたそうだ。

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小山松新徴組の記述

小山松勝一郎 新徴組を再刊してほしいが、沖田家の人々の運命に関する記述を引用する。



脱走組の沖田林太郎は故郷日野に帰り、多摩地方を回って農家で紡いだ生糸の仲買いをやっていた。明治11年林太郎53歳、妻おみつ46歳、この年長女お石24歳で嫁し、そして次男卓吉(つなよし)が生まれた。孫のような末子を林太郎、おみつともども老年の子とて目に入れても痛くないほどかわいがった。しかし林太郎は卓吉が6歳になった明治16年、58歳、貧窮の中で没した。

沖田芳次郎は父林太郎脱走後、庄内に残って開墾にとりくんだ。その後故郷に帰り警察官となった。明治19年、35歳で結婚、明治21年母おみつと妻お花と弟恒吉を連れ、宮城県塩釜におもむき漁業に携わった、しかし結局は失敗であった。それで14歳で三村伊賀右衛門の介錯をしたほどの剣の達人も、明治28年、父同様貧窮のごん底で没した。享年44歳。

新撰組沖田総司の姉であるおみつは、次男卓吉が南満州鉄道会社に転勤し、大連に居住したのを頼ってかの地に渡り、「日本の母」として若者たちに慕われ、明治40年安らかに没した。享年75歳。

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松ケ岡8ー最終回

2008年3月18日 山形新聞 連載 佐藤賢一 新徴組 第400回 「松ケ岡8」

まあこんなものかと。終わってしまった。他の新聞でもやっているので、単行本になるのは先の話でしょう。最後は、芳次郎が剣のけいこをしているところで終わり。でもずいぶん楽しませていただきました。

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March 17, 2008

松ケ岡7

2008年3月17日 山形新聞 連載 佐藤賢一 新徴組 第399回 「松ケ岡7」

松ケ岡開墾地から鳥海山を望む挿絵で、沖田芳次郎と玉城織衛の会話。林太郎のうわさ話。弟、卓吉(つなよし)が生まれたという話。どうやら、庄内藩による新徴組、新整組に対するほんとうのしうちについて、ワッパ騒動も書かないで終わりそう。つまり本当の新徴組の姿を描くより、林太郎とともに庄内藩の幕末の姿を描くのが目的であったような。

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March 16, 2008

松ケ岡6

2008年3月16日 山形新聞 連載 佐藤賢一 新徴組 第398回 「松ケ岡6」

<新徴組隊士の多くが庄内を後にしていた。、、、、、、、
父の林太郎も江戸に帰った。家族を連れて、帰ってしまった。庄内が嫌いというわけではない。が、死んだ総司叔父を、いつまで放っておくわけにもいかない。きちんと弔わなければならない。そういって、この夏に引き揚げてしまっていた。>

なんともきれいな引き揚げ方です。もっとどろどろ汚らしいと思うのだが。帰ったんでなく、脱走したんですよ。最後のコメントを待ちましょう。

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March 15, 2008

松ケ岡5

2008年3月15日 山形新聞 連載 佐藤賢一 新徴組 第397回 「松ケ岡5」

<、、、酒井吉之丞など賊軍の将にして、その才能を買われ、今や新政府の中枢兵部省に取り立てられる身であるし、、、、(そう、そう!)

、、、、、
ここ庄内では開墾事業を隠れ蓑に、本藩士は無論のこと、新徴組さえそのままなのである。
、、、、、
芳次郎は再び額の汗を拭いた。さすがは巨木だ。切り株は細かく砕いたが、思いのほか根の張り方が深い。枝分かれしているものを、いちいち掘り出すしかないかと、鍬を打ちこんでみるのだが、びっしり生えた下草に阻まれて、なかなか土を起こせない。
休憩としようや、と玉城織衛が声をかけてきた。>

さて最後に何を言うか?!

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March 14, 2008

松ケ岡4

2008年3月14日 山形新聞 連載 佐藤賢一 新徴組 第396回 「松ケ岡4」

<士族が健在を誇るのは、全国で二藩のみなのだと、御偉方が自慢げだった。事実、庄内では廃藩置県も、大泉藩が大泉県と名前を変えるだけだと喧伝されていた。中央政府の派遣を許さず、参事松平権十郎親懐、同権参事菅実秀はじめ、県官の全員が大泉藩士、旧庄内藩士で成ったからだ。>

明治期には、この二人悪役です、新徴組の面々からみても、すでに多くの仲間が逃げようとして、消されているはずですよ。この問題にいかないで終わるのか。山形新聞連載ですから、まさか現在もタブー?

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March 13, 2008

松ケ岡3

2008年3月13日 山形新聞 連載 佐藤賢一 新徴組 第395回 「松ケ岡3」

庄内藩の戦後の立場を延々と述べています。あれが西郷さんだと今頃言っています。では、林太郎さんたち新徴組の立場はどうなんでしょう。これを最後に述べるの、述べないの!?

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March 12, 2008

松ケ岡2

2008年3月12日 山形新聞 連載 佐藤賢一 新徴組 第394回 「松ケ岡2」

きのうの松ケ岡1から引用。

<黄金色の美田が広がっていた。ああ、そろそろ刈り入れか。かたわら遠く雲の切れ目に、その秀麗な形を覗かせているのは鳥海山だった。ああ、僕らは、あんなところを越えたのか。かれこれもう四年も前の話になるのか。「けど、庄内は庄内のまま、本当に変わらないなあ」>

そしてきょうの挿絵は鳥海山に鍬。そして例によって状況説明。
あまり新徴組のメンバーの名はでてこないが、玉城織衛の名が出てきている。脱走までやるかどうか?

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松ケ岡1

2008年3月11日 山形新聞 連載 佐藤賢一 新徴組 第393回 「松ケ岡1」

end
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end
end
end
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終章突入!!!

つまり明治編は、最終章のみですべてを言う!!!!

驚き!!!!

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March 11, 2008

官軍10

Gennbameiji

ここまでくると酒井玄蕃がこのあとの明治をいかに生き、結核で死んだか知りたくなります。で、以前紹介した


坂本守正 酒井玄蕃の明治  荘内人物史研究会 昭和57年 1300円

の登場となります。作者がいかに玄蕃について知りたかったかわかるというものです。黒崎研堂は、玄蕃の弟で、庄内日誌が刊行されています。日本の古本屋でgetしておきました。この付録に玄蕃家の系図がついています。玄蕃にももちろん奥さん、子供、子孫もいます。時間ができたらこの玄蕃の弟の明治期の日記を読んでみます。


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March 09, 2008

官軍9

sunsunsunsunsunsun

2008年3月9日 山形新聞 連載 佐藤賢一 新徴組 第391回 「官軍9」

明治元年9月28日 庄内藩主酒井忠篤公、謝罪降伏の証として、鶴岡城から、自ら歩いて官軍本陣までゆくことになって、城を出るシーン。例によって吉之亟と林太郎がそれをみていて会話。とりかこむ薩摩兵がいっせいにまわれえ右で、藩主をみない姿勢をとった。<武士のなさけ>。薩摩と庄内について言っています。<なるほど、尊王の薩摩藩、佐幕の庄内藩とそれぞれに立てる立場こそ違いながら、いずれも明日の日本を見据えて、真剣に戦ったのです。「その熱意を真の好敵手として、薩摩はわかってくれたのです。」>

本当にこんなシーンがあったのか、資料もなくわかりません。あまりに違う会津藩との扱いのちがいではないでしょうか。庄内藩の運命は、新徴組の運命にとって重要です。これからが、本番ですが、もう1年以上やってますから、どこまで続くのでしょうか?別に飽きてきたわけではありませんが、心配しているわけ。美女いくさは、250回であっけない幕切れでしたからね。

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月山初春2008

Gassan2008

3月になり、雪もとけて、きょうやっと快晴の日曜日。やっと山形市からみる月山が全貌をあらわしました。町中で働いているときにはわかりませんでしたが、山形からよく見えます。桜の季節がまた近くなってきました。仕事の花見が3度目で、一回目は茂吉記念館前のみゆき公園、去年は野草園に行こうとして雨で中止。ことしはどこにいたしましょうか。霞城公園には行けない事情があります。同じ所では芸がない。


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March 03, 2008

官軍3ー西郷隆盛伝説

Sigo

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やっと挿絵に顔をだし、致道舘へはいっていきました。これからが本番。まさかこれでおわりってことないでしょう。さとけん版西郷隆盛伝説も新徴組の運命にとって重要。話には登場しない以前紹介した本間郡兵衛は、この時期酒田で毒殺されていますが、この人は長く薩摩にいて、庄内藩とくに本間様の財力について西郷に知らせているはずです。新政府には金がなかったので、当然それを利用したいと考えていたはずですし、本来郡兵衛は生きているべきで、これから働くべきひとだったと思います。戦いがおわってまっさきに郡兵衛のゆくえについて調べたはずです。この先の庄内藩の扱いに西郷の考えが大きく働いたとすると、郡兵衛の果たした役割は大きかったと思われます。

時を同じくして篤姫にも若き西郷隆盛が活躍しています。相当うそっぽいらしいですが、テレビドラマですから楽しみましょう。ここで海音寺潮五郎、西郷隆盛を読破しないといけません。話は黒船来航まで逆戻り。虎尾の会のmemberたちも同時代を生きているわけで、登場を楽しみにしています。

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March 02, 2008

官軍2ー長崎丸二番

もったいぶっています。挿絵も顔をだしません。

長崎丸座礁事件は、平成16年の山形県立博物館 特別展飛島でやりました。
松島湾にいた榎本艦隊が蝦夷をめざすとき、長崎丸二番と千代田丸を派遣。10月7日に酒田沖にきた。しかし庄内藩はすでに降伏しており、さらにその夜嵐にみまわれ、8日飛島勝浦美港にはいった。そこに半月滞在。10月23日猛烈な嵐にあい、長崎丸二番が勝浦港に座礁。270人の乗り組み員は飛島に上陸。12月下旬に迎えの船がくるまで滞在。多くの物を飛島に残していった。その遺物を展示してありました。その展覧会のときに「長崎丸遭難顛末」阿部正巳 山形新聞 昭和8年6月6日ー19日掲載のcopyがくばられ、それが手元にあります。そのときいた人物たちについて詳述しています。

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美女いくさ7

3月3日からの次の夕刊小説の案内がでていますから、今週いっぱいです。日曜の読売を読み損なったので忠長事件の記載は見ませんでした(と、思っていたら)。細川ガラシャ夫人からもらったロザリオを埋めて供養の墓にしているそうです。音がすると、タマムシ登場ではないでしょうか?むすこの家光が将軍となり最後の場面ですか。タイトルは「化け物の正体」。あらわれたのは、忠長で、最後に忠長事件をやるのか。と、思ったら、鳥が飛んで、お、し、ま、い。

あれ、もう1日あいていると思ったら、ちゃんと作者のあいさつがきました。「連載をおえて」。忠長事件はやらないでおわり。

単行本は今秋、中央公論新社から

はい、楽しみにしています。終わりをもうすこし、<戦国の余韻>をもたせてください。

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March 01, 2008

官軍1

2008年3月1日 山形新聞 連載 佐藤賢一 新徴組 第383回 「官軍1」

ずっとこういうシーンがあるだろうと以前から考えていた鶴岡をおしのびで歩く西郷さんのシーンだと思います。この小説ではここで西郷隆盛初登場と思います。
<外堀の用をなす内川の橋を渡り、いよいよ鶴岡城がみえてくるほどに、、、、>
<「おはん、大丈夫でごあすか」>
<「てえのも、なんて大きな男なんだい」>
<「まさに肉の塊だ」>
<.....その相貌の異様さにも肝を抜かれた。入道のように頭を丸刈りにしているので、いっそう目について仕方ない。これで異人てわけでもないんだろうが、なんてえ、ぶっとい眉毛だい。なんてえ、ぎょろついた目玉だい。>
城にむかってかけていく林太郎にぶつかったのはこんな男だった。これ、西郷隆盛!!

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