« August 2008 | Main | October 2008 »

September 2008

September 28, 2008

攘夷ー清河八郎は暗殺

ますますおもしろくなってきました。篤姫!

文久3年(1863年)2月13日 将軍家茂上洛
文久3年(1863年)4月13日 清河八郎暗殺
           4月20日 家茂、攘夷実行の期限を5月10日とする旨、孝明天皇に奏上。
           5月10日 長州藩、下関海峡を通過した商船を砲撃
           6月1日  アメリカ軍艦、長州に報復攻撃
           7月2日  薩英戦争

家茂上洛にあわせて、浪士組が組織され、上洛。新撰組結成のはじまりとなるとともに、江戸にもどった清河は暗殺されてしまいます。本日の篤姫の時期にこのすべてがおこなわれています。結構リアルな放送でしたね。

| | TrackBack (0)

紫式部

ぱーぷるという人が書いたケータイ小説が話題になっている。これが瀬戸内寂聴が書いたケータイ小説だからだ。源氏物語の一部をモチーフにした現代の恋愛小説「あしたの虹」とか。仕事が終わるとさっそく探しにいった。やっとみつけて購入、読み始めた。もちろんケータイ小説は初めて。美女いくさの単行本も買ってきたのでしばらく時間をつぶせそう。

Murasaki

Ageha

我が家の庭に紫式部の実がきれいな紫に。何かの葉っぱに揚羽蝶の幼虫が住み着いています。わたしのブログにまちがって妻の顔が登場したのが2回、発見して怒っていますが、このブログには必要かと思います。

| | TrackBack (0)

あきばや

Akibaya

Akibaya2

天童の大悟はあきたわけではありませんが、ちがうところがいいというので、今回は天童へゆく旧道沿いにいつもけむりをふいている<あきばや>へこれまたしばらくぶりにいきました。天童はかもラーメンを名物にしています。水車そばにもありますが、以前はここを素通りしていっていました。あるときこちらによってみると、どれを食べてもなかなかの味で時折よるようになりました。しかし子どもがそれなりに大きくなって外食習慣がお休みになっていたために、実にしばらくぶりでしたが、こちらの店は何も変わっていませんでした。げそ天があったのでついでに頼みました。山形にはなくてはならないもののようです。

| | TrackBack (0)

September 23, 2008

上山のラーメン

Kawayoshi4

Kawayoshi1

Kawayoshi2

Kawayoshi3

happy01happy01happy01happy01happy01happy01happy01happy01happy01happy01happy01happy01happy01happy01happy01

上山駅前のだんごを買おうということになって、ラーメンも上山へしばらくぶりにいきました。温泉街の中、中心部にある川芳は10年以上前にいったことがあり、今回2回目です。ラーメン本には、元祖イカ天中華の店として知られるとあります。げそ天ラーメンのルーツでしょうか。エビ天中華の方が人気のようでしたが、写真のイカ天にしました。妻は相変わらずの五目中華。自家製麺のちじれ麺でした。上山の10店のラーメン屋がもへず会というのを作っているパンフレットがありました。あと知っているのは茂吉記念館まえのおいわけだけ。これをみなまわるには時間がかかりそう。

Takahashi

そして上山温泉駅前の目的の<だんご本舗たかはし>へ。門前だんごは8種類あり、醤油とつぶあんを2本ずつ購入。もちが相当にやわらかく、うまい。あんこはもちろんよい。それよりうまそうなのが<ほんてん黒いどら>食用竹炭とココアを混ぜて作ったまっくろなどら焼き。これも8種類ある。抹茶がほしかったが売り切れ。自分のところと、うちの母のところへも送ることにした。たいそううちのこどもたちも喜んだ。

| | TrackBack (0)

September 21, 2008

栄屋分店

Sakai1

Sakai2

Sakai3

山形市の栄屋といえば冷たいラーメン発祥の地として有名ですが、実はわたしは冷たいラーメンは食べたことがなく、夏は酢のはいった冷やし中華と決まっていましたが、ことしは熱いラーメンをまわっていますので冷やし中華もたべていません。こちら北山形駅前の栄屋分店が、山形ではラーメンの定番。いつもいっぱいです。きょうは時間がなく、天童まで行く時間がなかったのでしばらくぶりに、ここのラーメンにいきました。基本的な中華ですが、食べ慣れるとくせになります。


| | TrackBack (0)

September 19, 2008

現代のトレンド

Lavita1

山形の駅から西側の温泉めぐりをしていましたが、最新の温泉を紹介しましょう。自分の職場の庭にあります。この7月にオープンした山形第2の大型健康スポーツクラブです。掘り当てたばかりの清住温泉がスポーツクラブの風呂場のお湯となっています。露天にサウナ、岩盤浴まであります。

夜の仕事が終わったあとの時間帯は満員、わたしがいく午後5時から7時のあいだも、3か月目を迎えてだんだん混んできました。夜の病院の駐車場が昼よりはるかにいっぱいというのは異常かもしれません。メタボ対策といいますが、高血圧、糖尿病、動脈硬化にアルツハイマーまでその予防の第1にくるのは運動です。もちろん本格的なスポーツをやっているひとはいいですが、多くの普通のひと(若いひとも中年も年寄りも)は運動不足。老人でも参加できるスポーツクラブは、現代の健康の出発点と考えられます。テレビみながら歩く(走る)マシンが人気ですが、外を歩けばただで日光をあびながらできることを、せまっくるしい部屋のなかで、テレビをみながら歩く(走る)のは本当に健康的とはいえないような気もしますが、まったく人気で、みんなでやればこわくないといった面もあるかもしれません。1日30分の有酸素運動が高血圧のひとには必要とありますが、なかなか毎日でできないものです。今のところ週1−2回がいいところ。


| | TrackBack (0)

September 17, 2008

芋煮会

Imoni2008

山形秋の味覚の第1は芋煮。どこでも食べられますが、馬見ヶ崎川の河原で芋煮会をやって食べるのが、正しい芋煮の食べ方でしょう。しかし以前の職場では10年以上しなかったのが、新しい職場では、3年目にして2回目になりました(1回目はこちら)。しかし、3連休の最後の日に計画したせいか、盛り上がらず写真を1枚とって、お開きという感じでした。忙しい社会生活の中ではのんびり芋煮どころではない。

| | TrackBack (0)

September 15, 2008

生麦事件

Namamugi

島津久光が江戸へゆき、帰るまでの顛末を、篤姫をまじえてみせていますが、最後に生麦事件をやっていました。薩英戦争につながっていくところです(ずいぶん先の話です。清河八郎暗殺のあとですから)

文久2年(1862年)6月10日 西郷隆盛、徳之島に到着
文久2年(1862年)8月21日 生麦事件
文久2年(1862年)閏8月14日 西郷沖永良部島に到着

細かい時間関係をチェックしないとわからないところ。

| | TrackBack (0)

September 07, 2008

天童の大悟3

Daigo11

白味噌にするはずが、3回目は期間限定の、辛みそねぎラーメン 800円でした。4連チャンでもう1回いくことになりました。わたしはこういうこい味のラーメンは大好きです。妻は下のしょうゆ野菜ラーメンばかり食べていますが、4回連続には同意。

Daigo12

ラーメンに気をとられていて、本日水野三郎右衛門元宣公没後140年記念式典がある日であることを忘れてしまいました。いまさらですが、山形新聞に大きな広告がのってました。どれほどの人が集まってくるのか見たかったものです。


| | TrackBack (0)

September 05, 2008

幕末を別の視点からみると

また幕末にもどっているので、少し本も読んでみた。

永井路子 岩倉具視、言葉の皮を剥ぎながら 文芸春秋 2008 1524円

毛利敏彦 幕末維新と佐賀藩、日本西洋化の原点 中央公論社 2008 760円

永井の岩倉具視は、はじめよっぽど読みにくいドナルドキーンの明治天皇を想像していたが、一気に読めるエッセイ風の本で、永井が自ら遺言というだけあって、幕末明治に関する永井の意見が随所に述べられている。孝明天皇の死について、暗殺説がよくささやかれるが、あり得ないとはっきり述べている。今篤姫でやっている朝廷への工作は「手入」三昧であったとか。


もう1つの中公新書、佐賀藩の幕末も、非常に興味をそそられた。たとえば教科書などでは、明治になって突然江藤新平が登場するが、その前半生がどんなのであったか、佐賀藩のすぐれた大砲を作る技術が突然生まれたものでなく、江戸期の長い歴史があることなど、いままで知らなかった事実が多い。

2年後は、又幕末、坂本龍馬とか。幕末は奥が深い。くりかえし学習しましょう。もちろん山形史をからめて。

| | TrackBack (0)

September 02, 2008

寺田屋事件

The Palmという雑誌があるが、その平成20年夏号の中の<郷原建樹  日本回天 第29回>寺田屋事件を扱っていました。その最後のところにおもしろい記述があるので引用する。

寺田屋に集結した義挙側の主力は誠忠組激派の薩摩藩士であったが、一人だけ薩摩藩士関山家の家臣を名乗る山本四郎という陪臣がいた。この山本は、伊牟田尚平と共にアメリカの通訳官、ヒュースケンを斬り、清河八郎の倒幕集団「虎尾の会」の創設メンバーで、本名を神田橋直助と名乗る人物であった。山本は尚平の要請に応じて脱藩し義挙に参加したのだが、彼の主な務めは、彼ら脱藩浪士のスポンサーである貿易商人、森山新蔵の年若い息子、森山新五左衛門の護衛であった。大蔵谷で逮捕監禁された尚平に代わって、徹底して守り抜かねばならないのに、新五左衛門は寺田屋で重傷を負わされ、しかも今回、切腹させられたのである。山本(神田橋直助)は新五左衛門が切腹させられたことを知ると、やにわに腰の刀を抜き、自分の腹に押し当てて自刃して果てた。身は陪臣であろうとも、薩摩士道に殉じたのである。

神田橋直助が寺田屋で切腹した顛末がここに語られている。この時期、伊牟田尚平も南の島へ流されている。篤姫にも、いずれ登場するはずですよ!

| | TrackBack (0)

« August 2008 | Main | October 2008 »