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May 29, 2013

光禅寺2ー最上義光

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2006年秋の光禅寺はこちら

連休前、専称寺から光禅寺をまわってきた。ちょうど桜散る頃であった。霞城公園に夢中でお寺の桜の様子をみておく必要があった。実は光禅寺の位置がよくわからず、自転車で少々迷ってしまった。こちらにはりっぱな庭園があるが、今回はうまく写真が取れなかった。おめあては、最上義光のお墓。ことしは、最上義光没後400年祭

案内板によると「当寺は慶長7年(1602)羽州57万石、山形城主の最上義光公が大石田黒滝、向川寺9世春林禅寺和尚を拝講して開創したものである。元は慶長寺と称してが元和年間、家親公の時代に光禅寺と改称した。当事の寺は今の長源寺(七日町)の地にあって、寺領250石の御朱印寺で堂塔伽藍完備の寺であったと云う。義光公逝去の後、孫の義俊公の代に至つて最上改易の変に遭い近江の国大森に移封された。元和8年10月、盤城の国、平(現在いわき市)より鳥居忠政公、山形城主に(24万石)なるに及んで、盤城の国より菩提所、長源寺を招致し、光禅寺の土地、建物を長源寺に使用せしめ、当寺を現在地に移転せしめたのである。その時、門前の三日町町民も一緒に移って来たので、元の町を元三日町と称して今日に至る。寺は、明治27年5月、市南の大火に遭い観音堂を残して全焼。貴重な宝物、古文書等を焼失した。寺域内には、最上家三代の墓(義光公、家親公、義俊公)と義光公に殉死した4家臣の墓がある。本堂裏手には遠州流「心字の池」の庭園がある。江戸前期頃作庭。市の名勝指定)他に、永和の板碑(市文化財指定)、観音堂及び輔堂等がある。梵鐘は元禄11年、京都洛陽三条の釜座、藤原国次の作である。」とある。

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