16 posts categorized "山形のお寺"

June 19, 2015

山形のお寺2015

山形の歴史をテーマにしようとしたので、山形のお寺についても知らなければならない。はじめはお寺と神社の区別もつかなかった。由緒正しいお寺もまったく名さえ知らないものも多かった。藤沢周平の「龍を見た男」にでてくる善宝寺もその1つ。「善宝寺物語」というエッセイもある。この近くは何度も通っているが、いまだに行っていない。「義民が駆ける」の大督寺、「又蔵の火」の総穏寺など鶴岡のお寺も素通りでまだいくチャンスもない。それはともかく、まず

若松寺
。名前もしらなかったこの有名なお寺、2007年に一度だけいくことができた。印象は、京都の高山寺のようだ、というものだ。まあ歴史的に京都のまねをして作っているので当たり前か。「めでためでたの若松様」の若松様はnetで調べるとこのお寺のことではないが、花笠音頭のなかでは、かけてあるのでしょう。山形県立博物館の図録がいちばんの文献です。仏像も公開されていないがあるんですね。

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慈恩寺の仏像は、みちのくを代表するお宝でしょう。先日の東京国立博物館のみちのくの仏たちに十二神将は展示されていた。近年やっと自分でも慈恩寺にいくことができ、中の仏様たちをおがむことができた。慈恩寺も芭蕉がよらなかったので、有名ではなかったが、山形の歴史史上では重要なもので奥が深い。ちょっと行ったくらいではわからない。

Jionji

山寺立石寺の根本中堂はいつもその前を素通りしていくものであるが、2013年のご本尊の秘仏、木造薬師如来坐像の50年に一度の御開帳で長い行列を作った。写真はそのときのものです。次回はもう生きていない。子供と孫の時代だ。芭蕉のおかげで日本の観光地として、たまにいくところ。

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林泉寺(米沢市)は、直江兼続夫妻の墓のあるところ。その他上杉家、武田家などの墓がある。米沢では、まだこのお寺に一回しか行っていない。まだまだありそうです。

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専称寺はご存知、駒姫の菩提寺です。

Senshoji

光禅寺は、最上義光のお墓のあるところ。街の奥まったところにありわかりにくい。ことしはじめて桜が満開のところをみることができた。

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清河八郎とお蓮の墓のある勧喜寺(清川)へいったのも2013年のことです。はじめて、清川を素通りしたのが、1982年。あれから30年以上たっていますが、清河八郎の墓にたどりついたのは、2013年でした。

Kankiji

山形市の西側の山の向こうは朝日町に至るまで、山山山。その中長松寺のある畑谷は直江兼続が山形をせめた1600年の長谷堂合戦のとき最初に攻められた畑谷城跡があり、長松寺にはそのときの守将江口五兵衛光清の墓がある。


Hataya

その他ブログでとりあげたお寺
定林寺(河北町)
亀岡文殊(高畠)
宝泉寺(金瓶)
良向寺(村木沢)
清源寺(長谷堂)

歴史的に価値ある寺はまだまだあるでしょうが、もっとこまめにみていかないと、地元の歴史もわからんだろうね。

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September 10, 2013

歓喜寺(清川)2013

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ゴールデンウイークに清川へ行った。清河八郎記念館は3回目くらいかと思う。歓喜寺は初めて。電車で行くと、陸の孤島みたいなところで、ひともタクシーもみかけず、電車はほんとに数えるくらいしかでていないので、無駄な時間が過ぎていく。八郎とお蓮の墓がならんであった。東京の伝通院にも同じようにならんであるそうだ。

もう9月になってしまいました。荘内日報の「お蓮」の連載も100回を越えています。今は井伊大老暗殺の場面をやっています。ーー藤沢周平を読んでいると視線は井伊大老のお供のものたちの運命に眼が初めていきました。もちろん唯ではすまかったのです。

清河八郎を書いた本は多い。ふるすぎるものは著作権も切れて電子化されて公開されていました。

山口忠助『幕末の奇傑贈正四位清河八郎』大正12年


大川周明 清河八郎 昭和2年
(大川周明全集 第4巻佐藤信淵・清河八郎・雄能先生伝他 大川周明全集刊行会、 昭37)
  その図版

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July 17, 2013

定林寺(河北町)

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河北町が高橋泥舟と関係が深いことは以前に述べた

勤王僧瑞林(琳瑞)は河北町の出身.

Wikipediaには

琳瑞(りんずい、文政13年(1830年)10月 - 慶応3年10月18日(1867年11月13日))は、幕末期の浄土宗の僧。父は細谷守福。名は房蔵。号は静岳・真空・祥道・道真。出羽国村山郡の出身。
12歳で父を失い、17歳で陸奥国伊達郡桑折の無能寺で出家し、琳瑞と号した。1849年(嘉永2年)江戸に出て、僧侶の風紀粛清を期して小石川伝通院の処静院に住した。また、儒学者東条一堂に師事して儒学を学び、高橋泥舟・山岡鉄舟など多くの志士と交流した。水戸藩主徳川斉昭に私淑し、尊皇攘夷の大義を主唱した。1863年(文久3年)幕府側に暗殺された清河八郎の遺骸を託され、伝通院内に埋葬している。しかし1867年(慶応3年)10月18日、刺客に襲われ暗殺された。

と記述されている。


 定林寺には、勤王僧として知られる瑞林の顕彰碑がある。瑞林の碑は、親交のあった山岡鉄舟の筆による。

琳瑞和上死而在何処当住知居処否

と記述されている。

河北町と高橋泥舟の関係は近年注目されている。どういう経緯でここにこの記念碑が建ったか、ネットで調べたくらいではわからなかった。清河八郎、高橋泥舟、山岡鉄舟とたいへん関係が深く、なぜ暗殺されたのかについても大きな謎です。現在荘内日報に "お蓮"を連載されている鏡川伊一郎氏が氏のブログで詳しく考察されている。現在小説連載中のため結論がまだお預けになっていますが。

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June 03, 2013

宝泉寺(上山)ー斉藤茂吉

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高校の教科書に齋藤茂吉「死にたまふ母」のいくつかの短歌がのっていた。覚えているのをあげておく。

みちのくの母のいのちを一目(ひとめ)見ん一目見んとぞただにいそげる

死に近き母に添寝(そひね)のしんしんと遠田(とほだ)のかはづ天に聞ゆる

のど赤き玄鳥(つばくらめ)ふたつ屋梁(はり)にゐて足乳根(たらちね)の母は死にたまふなり

星のゐる夜ぞらのもとに赤赤とははそはの母は燃えゆきにけり

上山市金瓶の茂吉生家のならびにある宝泉寺には、茂吉の墓がある。これと、東京青山霊園、大石田乗船寺の3つお墓があるそうな。

今回の写真は2004年夏に撮影のもので現在とはすこし異るかもしれません。最近、そっちの方へ行っていない。


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June 01, 2013

慈恩寺

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慈恩寺にはじめて行った。念願かなうといった感じです。山寺の御開帳にあわせて、慈恩寺も秘仏をみせていました。はじめてみる薬師堂にある薬師三尊(薬師如来・日光菩薩・月光菩薩)と、薬師十二神将は、国の重要文化財に指定されており、たいへん見応えのあるものでした。外国の出品されたこともあるそうです。今回見たもの以外にもたくさん仏像があるらしいです。天平18年(746)、聖武天皇の勅命によってバラモン僧正が開いたと伝わる古い歴史をもつ一山寺院ですが、ここも芭蕉がきたときに、よっていかなかったので、あまり有名ではない(知っている人は知っている)お寺なのでしょうか。仏像は、山寺よりすごいものでした。以前カレンダーでみたことありましたが、たいへんなお宝があるものです。


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May 31, 2013

山寺立石寺ー御開帳2013

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山寺の歴史はたいへん古く、知らないこともいっぱいあるでしょう(というか、今回はじめて知ることの多いこと多いこと...)。過去にしばしば上まで上りましたが、根本中堂のところは素通りで、秘仏に御開帳があるなんてことも全く知らずに暮らしていました。前回の御開帳が昭和25年、わたしは生まれていませんでした。その後昭和37年に根本中堂の解体修理がされているのです。秘仏なのにパンフレットに写真があるのは、この時とられた1枚のようです。一生に一度のことですからよく拝んできました。ものすごい数の人々がこの5月山寺で行列を作りました。そのうちまたもとにもどったらゆっくり登ってみましょう。

芭蕉の像はいたるところにありますが、山寺の像を写真にとったのははじめてです。
閑さや岩にしみ入る蝉の声

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May 30, 2013

若松寺2007

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2007年県立博物館で若松寺の特集をやったとき、一度若松寺へ行った。そのときブログののせそこなったので、今回御開帳にあわせてお寺を集めているので、縁結びの観音若松寺もだしておきます。天童のはずれ山のなかにあり、まさに山がお寺になっています。その後に行った京都の高山寺と似た作りになっていました。天気がいいとここから鳥海山もみえるとか。

芭蕉が山寺にきたとき、よらなかったのでめだたない存在になってしまったのかもしれません。もう一度行ってみたいのですが、チャンスがあるでしょうか。

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May 29, 2013

光禅寺2ー最上義光

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2006年秋の光禅寺はこちら

連休前、専称寺から光禅寺をまわってきた。ちょうど桜散る頃であった。霞城公園に夢中でお寺の桜の様子をみておく必要があった。実は光禅寺の位置がよくわからず、自転車で少々迷ってしまった。こちらにはりっぱな庭園があるが、今回はうまく写真が取れなかった。おめあては、最上義光のお墓。ことしは、最上義光没後400年祭

案内板によると「当寺は慶長7年(1602)羽州57万石、山形城主の最上義光公が大石田黒滝、向川寺9世春林禅寺和尚を拝講して開創したものである。元は慶長寺と称してが元和年間、家親公の時代に光禅寺と改称した。当事の寺は今の長源寺(七日町)の地にあって、寺領250石の御朱印寺で堂塔伽藍完備の寺であったと云う。義光公逝去の後、孫の義俊公の代に至つて最上改易の変に遭い近江の国大森に移封された。元和8年10月、盤城の国、平(現在いわき市)より鳥居忠政公、山形城主に(24万石)なるに及んで、盤城の国より菩提所、長源寺を招致し、光禅寺の土地、建物を長源寺に使用せしめ、当寺を現在地に移転せしめたのである。その時、門前の三日町町民も一緒に移って来たので、元の町を元三日町と称して今日に至る。寺は、明治27年5月、市南の大火に遭い観音堂を残して全焼。貴重な宝物、古文書等を焼失した。寺域内には、最上家三代の墓(義光公、家親公、義俊公)と義光公に殉死した4家臣の墓がある。本堂裏手には遠州流「心字の池」の庭園がある。江戸前期頃作庭。市の名勝指定)他に、永和の板碑(市文化財指定)、観音堂及び輔堂等がある。梵鐘は元禄11年、京都洛陽三条の釜座、藤原国次の作である。」とある。

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専称寺ー駒姫

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駒姫は最上義光の娘で、文禄4年(1595)8月2日に秀次の他の妻妾子供らと共に三条河原にて処刑されました。この話はあまりにも有名です。墓は京都の三条河原 瑞泉寺にあります。 そのあたりを歩いたことありますが、そのときは全然そんなことは考えませんでした。機会があればいってみたいです。

辞世の句「罪を切る弥陀の剣にかかる身の なにか五つの障りあるべき

ここにある駒姫の墓はあたらしいものです。もっと桜か紅葉のきれいなときに写真をとりにこないといかん。ーー専称寺は2006年以来二回目です。

専称寺はいまでもお墓の分譲をしているそうです。うちは家のローンが終わってから、お墓の心配をはじめ、山寺とかここなどが話にのぼっています。お墓を買うのは、車を買うのといっしょで簡単ではありません。3.11以降お墓の需要は伸びていると聞きます。

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August 03, 2011

美女いくさ2011夏2ー養源院(京都)

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土日と京都までいったので、帰りに例によって京都国立博物館へ寄った。「百獣の楽園、美術にすむ動物たち」をやっていた。若冲の犬がたくさん描いてあるの(百犬図)が、印象的でした。以前2005年に曾我蕭白展をみて以来ここはやみつき。常設展をやっていた建物が新築中で時間があき、ぶらぶら三十三間堂でもみようかと歩いていたら、ふとこの辺に「江」が作ったお寺があるはずと思い、人けのない方に歩いてゆくと、あった、あった。入り口に血天井の看板がある。養源院というところでした。おそるおそる中へはいってみると、これから説明があるから中へどうぞと言われ、500円はらって中へあがる。撮影は禁止であったが、伏見城攻防戦で鳥居元忠以下1000人余りが城を死守し,最後に自刃した廊下の板の間を供養のために天井としたものと天井をみあげながら説明してもらった。聞いているひとは10人くらい。それで終わりでなく、どこかでみたことのある有名な俵屋宗達の杉戸絵(写真はネットからひろってきたものです)、左甚五郎が作った廊下、そして唯一のこる「江」の肖像画(ただし本物は長浜の江展に貸し出し中でした)に秀次と淀君の肖像画の特別展示がありました。いずれも有名な絵でした。

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なんと内容の濃い、江戸時代のお寺という雰囲気たっぷりのところでした。庭は秋の紅葉がすばらしいようです。ネット検索でいくらも紅葉の写真がでてきます。京でいちばん「江」様に触れることのできる場所を短時間で見ることができました。ラッキー。

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京へいったら、特徴的なラーメンを食べたいと思ったが、伏見の酒粕ラーメンは時間がなく、ホテルの近くの二条城周囲の有名店ですませた。京ラーメンの特徴は、わからないまま。歩いていて、にしん蕎麦の老舗が気になった。にしんそばは京が発祥の地でした。

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