3 posts categorized "清河八郎"

September 10, 2013

歓喜寺(清川)2013

Kiyokawa20131

Kiyokawa20132

Kiyokawa20133

Kiyokawa20134

Kiyokawa20135

Kiyokawa20136

Kiyokawa20137

ゴールデンウイークに清川へ行った。清河八郎記念館は3回目くらいかと思う。歓喜寺は初めて。電車で行くと、陸の孤島みたいなところで、ひともタクシーもみかけず、電車はほんとに数えるくらいしかでていないので、無駄な時間が過ぎていく。八郎とお蓮の墓がならんであった。東京の伝通院にも同じようにならんであるそうだ。

もう9月になってしまいました。荘内日報の「お蓮」の連載も100回を越えています。今は井伊大老暗殺の場面をやっています。ーー藤沢周平を読んでいると視線は井伊大老のお供のものたちの運命に眼が初めていきました。もちろん唯ではすまかったのです。

清河八郎を書いた本は多い。ふるすぎるものは著作権も切れて電子化されて公開されていました。

山口忠助『幕末の奇傑贈正四位清河八郎』大正12年


大川周明 清河八郎 昭和2年
(大川周明全集 第4巻佐藤信淵・清河八郎・雄能先生伝他 大川周明全集刊行会、 昭37)
  その図版

| | TrackBack (0)

July 17, 2013

定林寺(河北町)

Yachi1

Yachi2
河北町が高橋泥舟と関係が深いことは以前に述べた

勤王僧瑞林(琳瑞)は河北町の出身.

Wikipediaには

琳瑞(りんずい、文政13年(1830年)10月 - 慶応3年10月18日(1867年11月13日))は、幕末期の浄土宗の僧。父は細谷守福。名は房蔵。号は静岳・真空・祥道・道真。出羽国村山郡の出身。
12歳で父を失い、17歳で陸奥国伊達郡桑折の無能寺で出家し、琳瑞と号した。1849年(嘉永2年)江戸に出て、僧侶の風紀粛清を期して小石川伝通院の処静院に住した。また、儒学者東条一堂に師事して儒学を学び、高橋泥舟・山岡鉄舟など多くの志士と交流した。水戸藩主徳川斉昭に私淑し、尊皇攘夷の大義を主唱した。1863年(文久3年)幕府側に暗殺された清河八郎の遺骸を託され、伝通院内に埋葬している。しかし1867年(慶応3年)10月18日、刺客に襲われ暗殺された。

と記述されている。


 定林寺には、勤王僧として知られる瑞林の顕彰碑がある。瑞林の碑は、親交のあった山岡鉄舟の筆による。

琳瑞和上死而在何処当住知居処否

と記述されている。

河北町と高橋泥舟の関係は近年注目されている。どういう経緯でここにこの記念碑が建ったか、ネットで調べたくらいではわからなかった。清河八郎、高橋泥舟、山岡鉄舟とたいへん関係が深く、なぜ暗殺されたのかについても大きな謎です。現在荘内日報に "お蓮"を連載されている鏡川伊一郎氏が氏のブログで詳しく考察されている。現在小説連載中のため結論がまだお預けになっていますが。

| | TrackBack (0)

May 04, 2013

荘内日報に「お蓮」はじまる

Oren20130428_2

しばらくぶりの清河八郎です。小説の孵化場というブログで以前から清河八郎の記事を書いていて拝読していた鏡川伊一郎氏の連載小説がやっと始まった。ブログ上でこの連載小説の開始を知り、去年の暮れから荘内日報を購読開始していましたが、なかなか始まらず、なんと6ヵ月の準備を経て(連載小説を出すっていうのは、たぶんたいへんなことなんだ。)いま、5月1日から開始になりました。清河八郎とその仲間たち、総登場でしょう。さっそく安積五郎君がでてきたぞ!お蓮に関する基本的事項はこの文章(幕末に咲いた華 ~清河 蓮 -清河八郎の妻-)を参照してください。

著者のお言葉「清河八郎の妻お蓮の通説を覆す小説になると思う。探り当てた真実のお蓮像をぜひ共有していただきたい。

| | TrackBack (0)