74 posts categorized "山形歴史"

June 19, 2015

山形のお寺2015

山形の歴史をテーマにしようとしたので、山形のお寺についても知らなければならない。はじめはお寺と神社の区別もつかなかった。由緒正しいお寺もまったく名さえ知らないものも多かった。藤沢周平の「龍を見た男」にでてくる善宝寺もその1つ。「善宝寺物語」というエッセイもある。この近くは何度も通っているが、いまだに行っていない。「義民が駆ける」の大督寺、「又蔵の火」の総穏寺など鶴岡のお寺も素通りでまだいくチャンスもない。それはともかく、まず

若松寺
。名前もしらなかったこの有名なお寺、2007年に一度だけいくことができた。印象は、京都の高山寺のようだ、というものだ。まあ歴史的に京都のまねをして作っているので当たり前か。「めでためでたの若松様」の若松様はnetで調べるとこのお寺のことではないが、花笠音頭のなかでは、かけてあるのでしょう。山形県立博物館の図録がいちばんの文献です。仏像も公開されていないがあるんですね。

Jakushouji

慈恩寺の仏像は、みちのくを代表するお宝でしょう。先日の東京国立博物館のみちのくの仏たちに十二神将は展示されていた。近年やっと自分でも慈恩寺にいくことができ、中の仏様たちをおがむことができた。慈恩寺も芭蕉がよらなかったので、有名ではなかったが、山形の歴史史上では重要なもので奥が深い。ちょっと行ったくらいではわからない。

Jionji

山寺立石寺の根本中堂はいつもその前を素通りしていくものであるが、2013年のご本尊の秘仏、木造薬師如来坐像の50年に一度の御開帳で長い行列を作った。写真はそのときのものです。次回はもう生きていない。子供と孫の時代だ。芭蕉のおかげで日本の観光地として、たまにいくところ。

Risshakuji

林泉寺(米沢市)は、直江兼続夫妻の墓のあるところ。その他上杉家、武田家などの墓がある。米沢では、まだこのお寺に一回しか行っていない。まだまだありそうです。

Rinsenji

専称寺はご存知、駒姫の菩提寺です。

Senshoji

光禅寺は、最上義光のお墓のあるところ。街の奥まったところにありわかりにくい。ことしはじめて桜が満開のところをみることができた。

Kozenji

清河八郎とお蓮の墓のある勧喜寺(清川)へいったのも2013年のことです。はじめて、清川を素通りしたのが、1982年。あれから30年以上たっていますが、清河八郎の墓にたどりついたのは、2013年でした。

Kankiji

山形市の西側の山の向こうは朝日町に至るまで、山山山。その中長松寺のある畑谷は直江兼続が山形をせめた1600年の長谷堂合戦のとき最初に攻められた畑谷城跡があり、長松寺にはそのときの守将江口五兵衛光清の墓がある。


Hataya

その他ブログでとりあげたお寺
定林寺(河北町)
亀岡文殊(高畠)
宝泉寺(金瓶)
良向寺(村木沢)

まだまだ歴史的に価値ある寺はまだまだあるでしょうが、もっとこまめにみていかないと、地元の歴史もわからんだろうね。

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October 05, 2013

2013年9月summary

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9月30日(月)朝めざめたら、窓の外真っ赤だった。5時20分頃撮影。ことしいちばんの朝焼け。自宅前なので、電線がじゃまだが、真っ赤になるのは一瞬ですから、どうにもなりません。10月にはいり、もうことしの夕焼けであかくなるのはあまりないでしょう。なかなか月山が赤くなるところとれません。朝日岳のところも絵になります。

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いつもの定点で彼岸花が満開になりました。facebookでは黄色や白の彼岸花をみせてもらいましたが、わたしの近くは赤だけでした。自宅庭の紫式部もmacroでとるときれいです。去年朝日町でみたイヌサフランが自宅でも咲きましたが、倒れてしまってまだきれいというほどではありません。

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今年は最上義光没後400年でこの秋記念企画が多い。その1つ最上義光歴史舘の光明寺本「遊行上人絵」公開を見に行った。最上義光が狩野派の絵師狩野宗秀に描かせた全十巻の絵巻物。現在奈良国立博物館に寄託されている重要文化財。京都奈良へいかなくてもこのような絵をみることができるのはすばらしい。国宝の一遍聖絵と関連深く、保存状態が非常にいいようです。図録を購入しておきました。

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フェルメールの光の王国展が山形にきたのでみてきた。福岡伸一もフェルメールも知識がなく、一から学習した。真珠の耳飾りの少女はオランダのモナリザといわれるそうな。わたしはデルフトの眺望というフェルメールの故郷デルフトの朝焼けの絵が気に入って、macの壁絵にした。

まだ続く。

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September 10, 2013

歓喜寺(清川)2013

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ゴールデンウイークに清川へ行った。清河八郎記念館は3回目くらいかと思う。歓喜寺は初めて。電車で行くと、陸の孤島みたいなところで、ひともタクシーもみかけず、電車はほんとに数えるくらいしかでていないので、無駄な時間が過ぎていく。八郎とお蓮の墓がならんであった。東京の伝通院にも同じようにならんであるそうだ。

もう9月になってしまいました。荘内日報の「お蓮」の連載も100回を越えています。今は井伊大老暗殺の場面をやっています。ーー藤沢周平を読んでいると視線は井伊大老のお供のものたちの運命に眼が初めていきました。もちろん唯ではすまかったのです。

清河八郎を書いた本は多い。ふるすぎるものは著作権も切れて電子化されて公開されていました。

山口忠助『幕末の奇傑贈正四位清河八郎』大正12年


大川周明 清河八郎 昭和2年
(大川周明全集 第4巻佐藤信淵・清河八郎・雄能先生伝他 大川周明全集刊行会、 昭37)
  その図版

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July 17, 2013

定林寺(河北町)

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河北町が高橋泥舟と関係が深いことは以前に述べた

勤王僧瑞林(琳瑞)は河北町の出身.

Wikipediaには

琳瑞(りんずい、文政13年(1830年)10月 - 慶応3年10月18日(1867年11月13日))は、幕末期の浄土宗の僧。父は細谷守福。名は房蔵。号は静岳・真空・祥道・道真。出羽国村山郡の出身。
12歳で父を失い、17歳で陸奥国伊達郡桑折の無能寺で出家し、琳瑞と号した。1849年(嘉永2年)江戸に出て、僧侶の風紀粛清を期して小石川伝通院の処静院に住した。また、儒学者東条一堂に師事して儒学を学び、高橋泥舟・山岡鉄舟など多くの志士と交流した。水戸藩主徳川斉昭に私淑し、尊皇攘夷の大義を主唱した。1863年(文久3年)幕府側に暗殺された清河八郎の遺骸を託され、伝通院内に埋葬している。しかし1867年(慶応3年)10月18日、刺客に襲われ暗殺された。

と記述されている。


 定林寺には、勤王僧として知られる瑞林の顕彰碑がある。瑞林の碑は、親交のあった山岡鉄舟の筆による。

琳瑞和上死而在何処当住知居処否

と記述されている。

河北町と高橋泥舟の関係は近年注目されている。どういう経緯でここにこの記念碑が建ったか、ネットで調べたくらいではわからなかった。清河八郎、高橋泥舟、山岡鉄舟とたいへん関係が深く、なぜ暗殺されたのかについても大きな謎です。現在荘内日報に "お蓮"を連載されている鏡川伊一郎氏が氏のブログで詳しく考察されている。現在小説連載中のため結論がまだお預けになっていますが。

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June 01, 2013

慈恩寺

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慈恩寺にはじめて行った。念願かなうといった感じです。山寺の御開帳にあわせて、慈恩寺も秘仏をみせていました。はじめてみる薬師堂にある薬師三尊(薬師如来・日光菩薩・月光菩薩)と、薬師十二神将は、国の重要文化財に指定されており、たいへん見応えのあるものでした。外国の出品されたこともあるそうです。今回見たもの以外にもたくさん仏像があるらしいです。天平18年(746)、聖武天皇の勅命によってバラモン僧正が開いたと伝わる古い歴史をもつ一山寺院ですが、ここも芭蕉がきたときに、よっていかなかったので、あまり有名ではない(知っている人は知っている)お寺なのでしょうか。仏像は、山寺よりすごいものでした。以前カレンダーでみたことありましたが、たいへんなお宝があるものです。


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May 31, 2013

山寺立石寺ー御開帳2013

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山寺の歴史はたいへん古く、知らないこともいっぱいあるでしょう(というか、今回はじめて知ることの多いこと多いこと...)。過去にしばしば上まで上りましたが、根本中堂のところは素通りで、秘仏に御開帳があるなんてことも全く知らずに暮らしていました。前回の御開帳が昭和25年、わたしは生まれていませんでした。その後昭和37年に根本中堂の解体修理がされているのです。秘仏なのにパンフレットに写真があるのは、この時とられた1枚のようです。一生に一度のことですからよく拝んできました。ものすごい数の人々がこの5月山寺で行列を作りました。そのうちまたもとにもどったらゆっくり登ってみましょう。

芭蕉の像はいたるところにありますが、山寺の像を写真にとったのははじめてです。
閑さや岩にしみ入る蝉の声

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May 04, 2013

荘内日報に「お蓮」はじまる

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しばらくぶりの清河八郎です。小説の孵化場というブログで以前から清河八郎の記事を書いていて拝読していた鏡川伊一郎氏の連載小説がやっと始まった。ブログ上でこの連載小説の開始を知り、去年の暮れから荘内日報を購読開始していましたが、なかなか始まらず、なんと6ヵ月の準備を経て(連載小説を出すっていうのは、たぶんたいへんなことなんだ。)いま、5月1日から開始になりました。清河八郎とその仲間たち、総登場でしょう。さっそく安積五郎君がでてきたぞ!お蓮に関する基本的事項はこの文章(幕末に咲いた華 ~清河 蓮 -清河八郎の妻-)を参照してください。

著者のお言葉「清河八郎の妻お蓮の通説を覆す小説になると思う。探り当てた真実のお蓮像をぜひ共有していただきたい。

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March 05, 2013

遠山椿吉2013

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山辺町出身の医師「遠山元長」について書かれた資料はあるか。また、遠山元長によって書かれた資料はあるか。

遠山元長は幕末の山辺の医師で、長沢理玄が種痘を山形に広げた時に、山形でその仕事を行った。遠山家は江戸時代に代々医師の家で、幕末の元長は五代目です。

この五代目遠山元長の息子3名も医師になり、遠山椿吉, 遠山矢十藤吉(宇留野)です。写真は下記の宇留野勝弥氏の本にのっているもので、上段左から、矢十、椿吉、藤吉です。下段の左から二番目の老人が元長です。女性たちは、左から てる、ひさ、なか(後藤)。この椿吉の姉なかが後藤嘉一の祖母です。

遠山椿吉は、明治期日本を代表する医学者、細菌学者で、北里柴三郎、野口英世、志賀潔などとならぶ人物です。以前調べた時には情報はほとんどなかったが、現在は、東京顕微鏡院が作ったりっぱなホームページがある(遠山椿吉記念館)。詳細な記事があるので私が追加するようなこともありません。山形県立図書館の資料も有用です。明治時代の東京の保健所の所長になりました。森鷗外は明治の陸軍軍医で最高地位にまでのぼりましたが、大きな間違いをおかし、多くの軍人を脚気で亡くしてしまいましたが、それに比しても公衆衛生にはたした遠山椿吉の役割は高く評価されてよいと思われる。

宇留野勝弥:顕微鏡界の祖 遠山椿吉 昭和43年
宇留野勝弥:遠山三兄弟 昭和42年
山崎光夫:日本の健康を創った男たち5,水道水、一億人に安全給水した男 (新潮新書 山崎光夫  健康の天才たち 新潮社 2007)

たいしたこと書いていないが、遠山椿吉の項が手間取った。

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January 23, 2013

水野三郎右衛門元宣2ー豊烈神社

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水野三郎右衛門元宣(2007.4 桜の頃の記録)

いよいよ「八重の桜」がはじまった。戊辰戦争の会津、会津籠城戦をまともにとりあげるのは、はじめてかもしれない。山形藩もその戦乱にまきこまれ、その中で主としてはたらいたのが、水野家家老水野三郎右衛門元宣です。山形の幕末は、明治2年5月20日の長源寺での刑死で終わり、明治の世となった。

豊烈神社の水野元宣塑像説明板には、

水野元宣像の記
 水野三郎右エ門元宣は、天保十四年(1843)、遠州浜松に生れ藩主のお国替えにより弘化三年(1846)、四才のとき山形に移住し、二十二才の若さで家老職を継いだ。文武両道にすぐれ家中藩士の信頼を一身に集めた。
明治維新の政変の際、藩主は京都に居って不在のため、藩の運命は弱冠二十六才の首席家老元宣の双肩にかかっていた。慶応四年(1868)春、薩長軍(官軍)は仙台から山形に進入し、山形藩は官軍の命を受けて庄内征伐のため長崎口まで進撃したが、庄内軍の不意の襲撃に合い損害を受けて敗走、戦火は山形市街地の目前に迫った。元宣は領民を救うため苦心惨憺身を挺して奔走し山形市民を兵火の災害から救った。
 山形藩は当初官軍についたが、薩長軍の参謀世良修蔵の横暴さに憤慨した仙台、米沢の両藩の呼びかけに応じ、東北各藩とともに奥羽同盟を結成し官軍に反抗することとなった。しかし間もなく各藩相ついで降伏することとなり、新政府から反逆の罪に問われた際、元宣は「山形藩の責任はすべて自分一人にあり、他の者には寛容の御処置を」との嘆願書を提出し、他に犠牲者を出さないよう努力した。翌明治二年(1869)五月二十日藩の責任を一身に負い二十七才を最期に長源寺庭において刑死した。
 明治維新当時の山形藩は五万石であったが財政は苦しく充分な武器の備えもない状況の中で官軍と隣接大藩との板ばさみにあい山形藩をいかに保全するか元宣の苦悩は大変なものであった。明治維新改革後山形市が米沢・新庄の大藩をさしおいて県庁所在地となり今日の繁栄あるのは元宣が身をもって難に殉じ、山形の街を兵火の荒廃から救ったためであり、まさに山形市民の大恩人と称すべきである。
 元宣の遺徳を後世に伝えるため旧藩士を始め市民有志により明治三十四年(1901)銅像を建立したのであるが昭和十八年(1943)第二次世界大戦完遂のため供出されたので昭和二十一年(1946)に郷土の彫刻家服部午山の作による現在の塑像が再建されたのである。

と記載されている。

豊烈神社は、水野様を祀る神社で、その案内板には


豐烈神社(ほうれつじんじゃ)
  山形県山形市桜町7番47号
◇御祭神(説明板より)
水野忠元(豊烈霊神)、水野忠邦(英烈霊神)、八阪大神(素盞雄尊)、
稲荷大神(倉稲魂姫)、山ノ神(大山祗命)、明治維新殉難者二十四柱(山形藩)

◇由緒・沿革
文政四年(1821)
  遠江国浜松城主 水野忠邦公が藩租水野忠元公を城内に祀り、朝廷より豊烈霊神の称号を賜った。
弘化五年(1848)
  忠邦公の子忠精公山形移封に際し、山形城二の丸内に豊烈神社を遷座した。
明治三年(1870)
  忠精公の子忠弘公 近江国朝日村に移封の際、豊烈神社を山川(茨城県結城市)に遷座した。
明治十三年(1880)
 水野藩士勧請して、豊烈霊神様の御分霊を戴き、現在地に豊烈神社を建立して香澄町(旧三の丸地内)の氏神様とする。(現在氏子戸数約二千戸)
明治三十五年(1902)
水野三郎右衛門元宣の銅像建立。
明治四十一年(1908)
 神社庁令により、香澄町各所に鎮座していた八坂神社・稲荷神社・山神社を合祀する。大正二年(1913)
 山川の本社を、ここに遷座併合する。
大正十年(1921)
 水野藩中興の祖 水野忠邦公(英烈霊神)を合祀する。
昭和十八年(1943)
水野元宣銅像は戦争のため供出、昭和二十一年(1946)現在の塑像建立。
昭和三十年(1955)
 明治維新に際し山形市を戦火の災害から救った水野三郎右衛門元宣、山形防衛戦で戦死した大久保伝平知敬以下二十三柱を合祀する。

◇御祭神(説明板より)
水野忠元(豊烈霊神)水野忠邦(英烈霊神)八阪大神(素盞雄尊)稲荷大神(倉稲魂姫)山ノ神(大山祗命)明治維新殉難者24柱(山形藩)

◇打毬
 霞ヶ城最後の城主水野公が練武のため藩士に奨励あそばされたもので毎年10月6日の大祭には境内に馬場を設け紅白に分かれ古式豊かに行なわれる
  

と記載されている。この打毬が有名ですが、いまだ見たことはありません。毎年お祭りがおこなわれているようです。


山形藩、庄内藩など戊辰戦争時の山形の動きは、 

 後藤嘉一 やまがた明治零年 郁文堂書店  昭和35年

水野三郎右衛門元宣については

 後藤嘉一 やまがた史上の人物 郁文堂書店  昭和42年

に詳述されている。当時強大な財力、軍事力をもていた庄内藩、本当に最後の城を枕に討ち死に一歩手前までいった会津藩、そして、小藩で右往左往した山形藩、幕末は本当に学習の価値がある。

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January 15, 2013

種痘の碑ー長沢理玄

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千歳公園に人知れず「種痘の碑」が立っている。これは大正9年に遠山椿吉が再建したものである。もともとは、安政3年(1856)、長沢理玄の門人たちが、山形市片町本久寺に建てたものが明治14.5年頃、新道建設のときに壊されていたものを再建した。

長沢理玄については、
後藤嘉一 やまがた史上の人物 郁文堂書店  p48-53 の「長沢理玄」
の項に詳述されているが、そのもとになっている文献は
遠山椿吉 「長沢理玄」大正9年   ですが、これは現在
近代デジタルライブラリー 長沢理玄

で公開されている。これを以前途中まで入力していたが途中で止まっていました。

【山形・群馬で種痘の普及】長沢理玄(ながさわ・りげん)・山形/群馬の偉人

Rigen

石村 澄江 (著) 疱瘡長屋の名医―種痘に賭けた長沢理玄の生涯

は先日読了しましたが、より詳しく書かれています。以下長沢理玄について要約しておきます。

Shutou


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