13 posts categorized "美女いくさ"

September 04, 2011

美女いくさ2011秋4ー保科正之

テレビはほとんど見ないが、BSもわけのわからない番組がいっぱいあり、たまにみる。BSTBSで保科正之をやっていたのでみてみた。"名君"保科正之といわれるが、何が名君なのか全然知らなかった。徳川秀忠の隠し子で武田信玄の娘(見性院)に育てられ、伊那高遠城主となり、家光の代になり、山形藩、次いで会津藩に格上げされてゆく。

1582年の織田信長の武田征伐で、高遠城攻めがあり、このときが小説のはじまりになるのが池波正太郎の「真田太平記」。向井佐平次をお江が助け出すシーンからはじまるのです。印象深い。その信州伊那高遠が再び舞台となる。

そば切りの始まりはまちがいなく信州とのこと。それがどうやって山形までやってきたか。江戸時代の大名の国替えが大きく影響しているとのこと。1636年保科正之の山形転封と1622年の信濃松代から出羽鶴岡への酒井忠勝の転封とともに食も移動してきたようだ。

幕末会津藩が京都守護職になったのは、この保科正之の家訓があればこそ、とはよく知られた事実。時代は「フクシマ」へ。2年後の大河ドラマは新島八重。もし戦国でフクシマをやるとしたら、今の江の続編ともいうべき保科正之であったろう。これまでに

中村彰彦 保科正之 徳川将軍家を支えた会津藩主 中央公論新社  1995
中村彰彦 名君の碑 保科正之の生涯 文芸春秋社 2001

を読みました。名君の碑のなかでは江は、ただの嫉妬深い奥方様にしかすぎません。この名君の碑を読むと、保科正之の生涯は波瀾万丈、大河ドラマにふさわしいような話です。山形時代にも結構重要な事件がおこっています。ブログはまた山形史へもどっていきましょう。

静が保科正之を生むまでの期間は、大阪落城より前の話なので、大奥初期の江の姿が当然描かれていくのではないかと思いますが、どうなるのでしょう。以前同じ時期を扱った葵徳川三代は総出演(よく覚えていませんが)だったようです。


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August 19, 2011

美女いくさ2011夏3ー福田 千鶴「江の生涯」

Gochuko

お盆をすぎると秋風が吹いて、長い冬の準備にはいります。もう書店には江のコーナーはなく(震災関係は無数にありますが)、そろそろ平家物語の本がならびはじめるのかもしれません。江の本は「美女いくさ」だけでしたが、中公新書の福田 千鶴「江の生涯 徳川将軍家御台所の役割」アマゾンの書き込みをみていたら、江が続続生む子供たち(多産!)がかならずしもそうでないという記事があり、この本をアマゾンから購入して読んでみました。

もちろん地震を火事に変えてしまうくらいですから、大河では史実に忠実に描かれるわけではありませんが、先週千姫が生まれ、これから次々姫様が生まれていきます。これがみな江の子で、なんと多産なと思っていたが、正室の体面・大奥の秩序維持のため侍妾という正室の許可するものがいて、これが子を産み、体面上正室の子としたとのこと。特に家光は江の子でないとの説は、忠長を寵愛したといわれる江らしい解釈です。じゃ、家光の母は誰、ということになり、変ではあります。身分が卑しいので、この秩序の列から外れた保科正之の母お静だけが知られているのも変な話です。ブログに強烈な反論を書いている方もいました。事実は誰にもわからん。天皇家へいった和子まで江の子でないと言われるとなんともわからなくなる。

この本を読んでいて、美女いくさでは全編にでてくる「喜八郎」が実在の人物であることがわかりました。年譜は「浅井江」になっています。最後まで浅井の血筋であることをこの三姉妹は考えていたことでしょう。たいへんむずかしい本ですが、数少ない史料を基に書いた江本として価値が高いと思います。

江に次回登場する加賀まりこさん演じる大姥局(おおばのつぼね)は秀忠の乳母ですが、保科正之の母静はこの方の侍女でした。でてきますかね?「大奥」ではかならず登場ですが。


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August 03, 2011

美女いくさ2011夏2ー養源院(京都)

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Kokuritsu

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土日と京都までいったので、帰りに例によって京都国立博物館へ寄った。「百獣の楽園、美術にすむ動物たち」をやっていた。若冲の犬がたくさん描いてあるの(百犬図)が、印象的でした。以前2005年に曾我蕭白展をみて以来ここはやみつき。常設展をやっていた建物が新築中で時間があき、ぶらぶら三十三間堂でもみようかと歩いていたら、ふとこの辺に「江」が作ったお寺があるはずと思い、人けのない方に歩いてゆくと、あった、あった。入り口に血天井の看板がある。養源院というところでした。おそるおそる中へはいってみると、これから説明があるから中へどうぞと言われ、500円はらって中へあがる。撮影は禁止であったが、伏見城攻防戦で鳥居元忠以下1000人余りが城を死守し,最後に自刃した廊下の板の間を供養のために天井としたものと天井をみあげながら説明してもらった。聞いているひとは10人くらい。それで終わりでなく、どこかでみたことのある有名な俵屋宗達の杉戸絵(写真はネットからひろってきたものです)、左甚五郎が作った廊下、そして唯一のこる「江」の肖像画(ただし本物は長浜の江展に貸し出し中でした)に秀次と淀君の肖像画の特別展示がありました。いずれも有名な絵でした。

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なんと内容の濃い、江戸時代のお寺という雰囲気たっぷりのところでした。庭は秋の紅葉がすばらしいようです。ネット検索でいくらも紅葉の写真がでてきます。京でいちばん「江」様に触れることのできる場所を短時間で見ることができました。ラッキー。

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京へいったら、特徴的なラーメンを食べたいと思ったが、伏見の酒粕ラーメンは時間がなく、ホテルの近くの二条城周囲の有名店ですませた。京ラーメンの特徴は、わからないまま。歩いていて、にしん蕎麦の老舗が気になった。にしんそばは京が発祥の地でした。

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July 25, 2011

美女いくさ2011夏

戦国ファンタジーといわれている「江」に秀忠が登場し、やっと面白くなってきた。ゲゲゲのとうちゃんが登場。江さん、三度目の結婚です。美女いくさでは、江は最初の夫佐治一成が好きで、2番目の夫秀勝は好く描かれておらず、最初の子供「完子」は、本当は一成の子との設定になっていました。本当は誰が好きだったかなんて記録がなく想像のみ。

江は数ある戦国の見せ場をくぐり抜けて、江戸期の二代将軍の妻になる方ですので、秀忠に嫁いで以後が本番。この時期にはめずらしく?多産で、次々秀忠の子を産んでいきます。秀忠は恐妻家なのでしょうか。他の女性には目もくれない(よくテレビにでてくる設定でした。)。ただひとり手をつけた方の子が保科正之ですが。

秀吉の時代というのは非常に汚ならしく、秀次事件とその家族の処刑などとてもみていられないシーンが多いのですが、これからの平和な国作りに江が影響を及ぼしていくということでしょうか。戦国青春物語にはとても付き合いきれませんが、この過酷な戦国の歴史をくぐり抜けて生き抜いた女性という意味で、ことしとりあげられた価値はあります。茶々が死んだ後が見物かと思います。

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January 18, 2011

大河ドラマ「江」はじまる

Bijyo

今頃になって、単行本になった「美女いくさ」を読了。これが大河の原作ではないが、ほぼ同じ考えで作られた物語でしょう。別々に考えられたものか、この小説からヒントを得たか、どっちかはわかりません。江の本が書店にならぶようになって何かいいのはないかとみていますが、やはり美女いくさがいちばんみたい。カワウソにタマムシ、喜八郎が大河にはでてこないのは残念。最後の章の江のこどもたちの情景(東福門院和子、初姫、勝姫、珠姫、千姫。いっぱいいます。)は「美女いくさ」にふさわしいシーンでした。これだけ修羅場をくぐりぬけてきても、また新たな美女いくさがはじまるということ。(この最後の章は新聞連載時にはなかった。)この人の人生をたどると、過去の戦国ドラマのクライマックスがすべて通り道にすぎないわけです。この1−2回にも見慣れたシーンがでています。また戦国にもどり、山形戦国も考察しないといけませんが、秀忠がこの「江」にかくれて生ませた唯一の隠し子が保科正之で、武田信玄の娘見世院に育てられ、家光の世になってとりたてられ、山形藩主から会津へ移り、会津藩の祖となります。ということで、山形藩にも関係ありますので、わたしの戦国年表にその歴史も書き加えます。


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June 18, 2009

江(ごう)

2011年大河ドラマは「江(ごう)」 NHK発表

 NHKは17日、通算50作目となる2011年放送の大河ドラマが「江(ごう)」に決まったと発表した。江は織田信長のめいとして戦国の世に生まれ、徳川2代将軍秀忠の正室となった女性。ドラマではたび重なる政略結婚、離別の試練をくぐり抜けた江の、たくましくもしなやかな人生を描く。脚本は「篤姫」を担当した田渕久美子さん。

篤姫人気でまたしても田淵さん脚本で女性一代記。原作がないようですが、 新聞連載中よりずっと読んでいた<美女いくさ>を意識していることはあきらか。またまた楽しみが増えました。兼続の時代と重なります。

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March 02, 2008

美女いくさ7

3月3日からの次の夕刊小説の案内がでていますから、今週いっぱいです。日曜の読売を読み損なったので忠長事件の記載は見ませんでした(と、思っていたら)。細川ガラシャ夫人からもらったロザリオを埋めて供養の墓にしているそうです。音がすると、タマムシ登場ではないでしょうか?むすこの家光が将軍となり最後の場面ですか。タイトルは「化け物の正体」。あらわれたのは、忠長で、最後に忠長事件をやるのか。と、思ったら、鳥が飛んで、お、し、ま、い。

あれ、もう1日あいていると思ったら、ちゃんと作者のあいさつがきました。「連載をおえて」。忠長事件はやらないでおわり。

単行本は今秋、中央公論新社から

はい、楽しみにしています。終わりをもうすこし、<戦国の余韻>をもたせてください。

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February 21, 2008

美女いくさ6

話は一気に10年飛んで、大坂落城の巻、きのうは淀君(姉)に秀頼が死んだ。章題は、10年後、終焉、もうおわり?カワウソにタマムシという忍者が情勢を小督に知らせてくれるのだが、今回はカワウソがあらわれない。ずいぶん簡単に淀君がしんじゃったですが、この先先日登場の春日局との確執までいきますか。カワウソが死んでしまったシーンが挿絵。タマムシもこれを機会にお暇をください、と言っている。この話のはじめの方をみていないので、信包とか喜八郎がよくわからない。単行本を待たないといけないのです。そしてきょうは家康も死んで、ほんとうに小説も終焉ですか。もうすこしやって欲しい気がする。

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February 07, 2008

美女いくさ5

いよいよ家光誕生かと思ったらはぐらかされたが、また妊娠して6度目。今度こそ家光でしょう。この時代に多産。たぶん美貌もくたびれているでしょうに。完子(さだこ)の公家への嫁入りシーンです。このひとはこの話では佐治一成との子という設定ですので、密かに一成が婚礼の行列をみていたと聞いて小督が嗚咽をもらした。一成がいまでも好きなのです。---そして本日第230回、家光誕生、乳母お福の登場と大奥のほんとの初期の誕生に向かってはなしが進んでゆきます。

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January 26, 2008

美女いくさ4

読売新聞の諸田玲子 美女いくさは、小督がおなかが大きくなって、(どうやらこれが家光みたいですが)、千姫を豊臣に嫁にださなければならなくなったところまできました。お江与の方からみた戦国の流れには、なるほどと感じる点が多いです。話の進展を注目しています。

同じ歴史でも視点を変えると全然違う話になるのは、これも新徴組も同じこと。

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